せんいちや》」が何《ど》の位自分を慰めて呉れたか解《わか》らない」と。
 然らば此のバアトンの訳本は、欧洲の天地を遠く離れて、而も瘴煙蛮雨《しやうえんばんう》の中で生れたもので、恰《あたか》もタイチに赴いたゴオガンの絵と好対照である。
 一八八四年に、バアトンはトリエストに滞在中、最初の二巻を脱稿した。
 茲《ここ》で問題は印刷部数である。或学者が曰ふ、「百五十部乃至二百五十部で宣《よろ》しからう」と。其の学者と謂《い》ふのは、本文《ほんもん》を十六万部も刷《す》つて、六シルリングの廉価本《れんかぼん》より五十ギニイの高価本まで売り尽した男である。又或出版業者は「五百部がよい」と云つた。ただ素人《しろうと》の一友人が「二千から三千がよい」と勧めた。バアトンも迷つた末、一千部に決《き》めた。
 バアトンはそれから知人未知人を問はず、買ふらしい人の表を作つて、広告を配《くば》つた。其の要綱は、全十冊、一冊一ギニイ、各冊とも代金は本と引換へのこと、廉価版は発行しない。一千部限り印行、十八箇月内に完結の予定、と云ふ規定であつた。広告配布数は二万四千で、その費用は百二十六ポンド掛《かか》つた。返
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