弗利加《アフリカ》や南|亜米利加《アメリカ》に客寓中《かくぐうちう》、独り稿を継《つ》いで行つた。其の間《かん》に於ける彼の胸中は、「他人目《たにんめ》には何《ど》うか知らないけれども、自分では何よりの慰藉《ゐしや》と満足との泉であつた」と云ふ彼自身の言葉が尽《つく》して居《ゐ》る。
斯くて稿を畢《をは》つて、一八七九年の春から清書に取掛《とりかか》つて行つたが、一八八二年の冬、或雑誌に、ジヨン・ペインの訳本が刊行されると云ふ予告が出た。バアトンが之を知つたのは、恰《あたか》も西部亜弗利加の黄金《わうごん》海岸へ遠征しようと云ふ間際《まぎは》であつた。乃《そこ》でペインに「小生も貴君《きくん》と同様の事業を企《くはだ》て居り候へども、貴君の既《すで》に之を完成されたるは結構千万の儀にて、先鞭《せんべん》の功は小生よりお譲り可申《まうすべく》云々《うんぬん》」と云ふ手紙を送つた。その中《うち》にペインの訳本が出た。で、バアトンは一時中止した。
バアトンが又続けて言つて居る。「東部|亜弗利加《アフリカ》のゼイラに二箇月間滞在してゐた時にも、ソマリイを横断の陣中でも、此の「一千一夜《いち
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