ろにきちりと膝を重ねた儘、小さい煙管《きせる》を啣《くは》へてゐた。時時わたしの顔を見ては、何も云はずにほほ笑《ゑ》みながら。
(何かと思へば竹の枝か、今年《ことし》生えた竹の枝か。)
 この白茶《しろちや》の博多《はかた》の帯は幼いわたしが締めた物である。わたしは脾弱《ひよわ》い子供だつた。同時に又早熟な子供だつた。わたしの記憶には色の黒い童女の顔が浮んで来る。なぜその童女を恋ふやうになつたか? 現在のわたしの眼から見れば、寧《むし》ろ醜《みにく》いその童女を。さう云ふ疑問に答へられるものはこの一筋の帯だけであらう。わたしは唯|樟脳《しやうなう》に似た思ひ出の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》を知るばかりである。
(竹の枝は吹かれてゐる。娑婆界《しやばかい》の風に吹かれてゐる。)

     線香

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わたしは偶然|垂《た》れ布《ぬの》を掲《かか》げた。……
妙に薄曇つた六月の或朝。
八大胡同《はちだいことう》の妓院《ぎゐん》の或部屋。
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 垂《た》れ布《ぬの》を掲げた部屋の中には大きい黒檀《こくたん》の円卓《テエブ
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