゙ろふさいせい》の陶器を愛するを見、その愛を共にするに一年有半を要したり。書画、篆刻《てんこく》、等《とう》を愛するに至りしも小穴一游亭に負ふ所多かるべし。天下に易々《いい》として古玩を愛するものあるを見る、われは唯わが性《さが》の迂拙《うせつ》なるを歎《たん》ずるのみ。然れども文章を以て鳴るの士の蒐集品を一見すれば、いづれも皆古玩と称するに足らず。唯室生犀星の蒐集品はおのづから蒐集家の愛を感ぜしむるに足る。古玩にして佳什《かじふ》ならざるも、凡庸《ぼんよう》の徒の及ばざる所なるべし。
 われは又|子規居士《しきこじ》の短尺《たんじやく》の如き、夏目《なつめ》先生の書の如き、近人の作品も蔵せざるにあらず。然れどもそは未《いま》だ古玩たらず。(半《なか》ば古玩たるにもせよ。)唯近人の作品中、「越哉《ゑつさい》」及び「鳳鳴岐山《ほうめいきざん》」と刻せる浜村蔵六《はまむらざうろく》の石印《せきいん》のみは聊《いささ》か他に示すに足る古玩たるに近からん乎《か》。わが家《や》の古玩に乏しきは正に上《かみ》に記《しる》せるが如し。われを目《もく》して「骨董《こつとう》好き」と言ふ、誰か掌《たなご
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