縺sへきじやう》に掲ぐるのみ。陶器をペルシア、ギリシア、ワコ、新羅《しらぎ》、南京古赤画《なんきんこあかゑ》、白高麗《はくかうらい》等を蔵すれども、古織部《こおりべ》の角鉢《かくばち》の外《ほか》は言ふに足らず。古玩《こぐわん》を愛する天下の士より見れば、恐らくは嗤笑《しせう》を免《まぬか》れざるべし。わが吉利支丹《キリシタン》の徒の事蹟を記《き》せるを以て、所謂《いはゆる》「南蛮もの」を蔵すること多からんと思ふ人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の外《ほか》に一体のマリア観音《くわんおん》を蔵するに過ぎず。若しわれをしも蒐集家《しうしふか》と言はば、張三李四《ちやうさんりし》の徒も蒐集家たるべし。然れどもわが友に小穴一游亭《をあないちいうてい》あり。若し千古の佳什《かじふ》を得んと欲すれば、必《かならず》しもかの書画家の如く叩頭百拝《こうとうひやくはい》するを須《もち》ひず。当来の古玩《こぐわん》の作家を有するは或は古玩を有するよりも多幸なる所以《ゆゑん》なり。
 古玩は前人《ぜんじん》の作品なり。前人の作品を愛するは必《かならず》しも容易の業《わざ》にあらず。われは室生犀星《
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