界へ追い下し、「いんへるの」に堕せしめ給う。即《すなわち》安助高慢の科《とが》に依って、「じゃぼ」とて天狗《てんぐ》と成りたるものなり。
 破していわく、汝《なんじ》提宇子《でうす》、この段を説く事、ひとえに自縄自縛《じじょうじばく》なり、まず DS《でうす》 はいつくにも充ち満ちて在《まし》ますと云うは、真如法性《しんにょほっしょう》本分の天地に充塞し、六合《りくごう》に遍満したる理《ことわり》を、聞きはつり云うかと覚えたり。似たる事は似たれども、是《ぜ》なる事は未だ是《ぜ》ならずとは、如此《かくのごとき》の事をや云う可き。さて汝云わずや。DS は「さひえんちいしも」とて、三世了達《さんぜりょうだつ》の智なりとは。然らば彼《かれ》安助《あんじょ》を造らば、即時に科《とが》に落つ可きと云う事を知らずんばあるべからず。知らずんば、三世了達《さんぜりょうだつ》の智と云えば虚談なり。また知りながら造りたらば、慳貪《けんどん》の第一なり。万事に叶《かな》う DS ならば、安助の科《とが》に堕《だ》せざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。無用の天狗を造り、邪魔を為さするは、何と云う事ぞ。されど「じゃぼ」と云う天狗、もとよりこの世になしと云うべからず。ただ、DS 安助を造り、安助悪魔と成りし理《ことわり》、聞えずと弁ずるのみ。
 よしまた、「じゃぼ」の成り立は、さる事なりとするも、汝がこれを以て極悪兇猛の鬼物《きぶつ》となす条、甚《はなはだ》以て不審《ふしん》なり。その故は、われ、昔、南蛮寺《なんばんじ》に住せし時、悪魔「るしへる」を目《ま》のあたりに見し事ありしが、彼自らその然らざる理《ことわり》を述べ、人間の「じゃぼ」を知らざる事、夥《おびただ》しきを歎きしを如何《いかん》。云うこと勿れ、巴※[#「田+比」、第3水準1−86−44]※[#「合/廾」、第3水準1−84−19]《はびあん》、天魔の愚弄する所となり、妄《みだり》に胡乱《うろん》の言をなすと。天主と云う名に嚇《おど》されて、正法《しょうぼう》の明《あきらか》なるを悟《さと》らざる汝《なんじ》提宇子《でうす》こそ、愚痴のただ中よ。わが眼《まなこ》より見れば、尊げに「さんた・まりあ」などと念じ玉う、伴天連《ばてれん》の数は多けれど、悪魔「るしへる」ほどの議論者は、一
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