あった。
× × ×
山村平吉はおやじの代から、日本橋の若松町にいる絵具屋である。死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑《そばかす》のあるお上《か》みさんと、兵隊に行っている息子とが残っている。暮しは裕《ゆたか》だと云うほどではないが、雇人《やといにん》の二三人も使って、どうにか人並にはやっているらしい。人の噂では、日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青《いわろくしょう》を買占めにかかったのが、当ったので、それまでは老鋪《しにせ》と云うだけで、お得意の数も指を折るほどしか無かったのだと云う。
平吉は、円顔《まるがお》の、頭の少し禿げた、眼尻に小皺《こじわ》のよっている、どこかひょうきんな所のある男で、誰にでも腰が低い。道楽は飲む一方で、酒の上はどちらかと云うと、まずいい方である。ただ、酔うと、必ず、馬鹿踊をする癖があるが、これは当人に云わせると、昔、浜町の豊田の女将《おかみ》が、巫女舞《みこまい》を習った時分に稽古をしたので、その頃は、新橋でも芳町でも、お神楽《かぐら》が大流行だったと云う事である。しかし、踊は勿論、当人が味噌を上げる
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