、ぐるりと一つ大きな円をかきながら、あっと云う間に、メリヤスの股引《ももひき》をはいた足を空《くう》へあげて、仰向けに伝馬の中へ転げ落ちた。
橋の上の見物は、またどっと声をあげて哂った。
船の中ではそのはずみに、三味線の棹《さお》でも折られたらしい。幕の間から見ると、面白そうに酔って騒いでいた連中が、慌てて立ったり坐ったりしている。今まではやしていた馬鹿囃子も、息のつまったように、ぴったり止んでしまった。そうして、ただ、がやがや云う人の声ばかりする。何しろ思いもよらない混雑が起ったのにちがいない。それから少時《しばらく》すると、赤い顔をした男が、幕の中から首を出して、さも狼狽したように手を動かしながら、早口で何か船頭に云いつけた。すると、伝馬はどうしたのか、急に取舵《とりかじ》をとって、舳《みよし》を桜とは反対の山の宿《しゅく》の河岸《かし》に向けはじめた。
橋の上の見物が、ひょっとこの頓死した噂を聞いたのはそれから十分の後《のち》である。もう少し詳しい事は、翌日の新聞の十把一束《じっぱいっそく》と云う欄にのせてある。それによると、ひょっとこの名は山村平吉、病名は脳溢血と云う事で
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