ほどのものではない。悪く云えば、出たらめで、善く云えば喜撰《きせん》でも踊られるより、嫌味がないと云うだけである。もっともこれは、当人も心得ていると見えて、しらふの時には、お神楽のお[#「お」に傍点]の字も口へ出した事はない。「山村さん、何かお出しなさいな」などと、すすめられても、冗談に紛らせて逃げてしまう。それでいて、少しお神酒《みき》がまわると、すぐに手拭をかぶって、口で笛と太鼓の調子を一つにとりながら、腰を据えて、肩を揺って、塩吹面舞《ひょっとこまい》と言うのをやりたがる。そうして、一度踊り出したら、いつまでも図にのって、踊っている。はたで三味線を弾いていようが、謡をうたっていようが、そんな事にはかまわない。
ところが、その酒が崇《たた》って、卒中のように倒れたなり、気の遠くなってしまった事が、二度ばかりある。一度は町内の洗湯《せんとう》で、上り湯を使いながら、セメントの流しの上へ倒れた。その時は腰を打っただけで、十分とたたない内に気がついたが、二度目に自家《うち》の蔵の中で仆《たお》れた時には、医者を呼んで、やっと正気にかえして貰うまで、かれこれ三十分ばかりも手間どった。平吉
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