着のままでかけ落ちをしてしまった。そこで、一家安穏のためにした信心が一向役にたたないと思ったせいか、法華気違いだった旦那が急に、門徒へ宗旨替《しゅうしがえ》をして、帝釈様《たいしゃくさま》のお掛地《かけじ》を川へ流すやら、七面様の御影《みえい》を釜の下へ入れて焼くやら、大騒ぎをした事があるそうである。
それからまた、そこに廿《はたち》までいる間に店の勘定をごまかして、遊びに行った事が度々あるが、その頃、馴染みになった女に、心中をしてくれと云われて弱った覚《おぼえ》もある。とうとう一寸《いっすん》逃れを云って、その場は納まったが、後で聞くとやはりその女は、それから三日ばかりして、錺屋《かざりや》の職人と心中をしていた。深間《ふかま》になっていた男がほかの女に見かえたので、面当《つらあ》てに誰とでも死にたがっていたのである。
それから廿の年におやじがなくなったので、紙屋を暇をとって自家《うち》へ帰って来た。半月ばかりするとある日、おやじの代から使っていた番頭が、若旦那に手紙を一本書いて頂きたいと云う。五十を越した実直な男で、その時右の手の指を痛めて、筆を持つ事が出来なかったのである。「
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