うだい》の前へ髪《かみ》を結《ゆ》いに立って行った。が、洋食の食べかただけはどうしても気にかかってならなかった。……
その次の午後、夫はたね子の心配を見かね、わざわざ彼女を銀座《ぎんざ》の裏のあるレストオランへつれて行った。たね子はテエブルに向かいながら、まずそこには彼等以外に誰もいないのに安心した。しかしこの店もはやらないのかと思うと、夫のボオナスにも影響した不景気を感ぜずにはいられなかった。
「気の毒だわね、こんなにお客がなくっては。」
「常談《じょうだん》言っちゃいけない。こっちはお客のない時間を選《よ》って来たんだ。」
それから夫はナイフやフォオクをとり上げ、洋食の食べかたを教え出した。それもまた実は必ずしも確かではないのに違いなかった。が、彼はアスパラガスに一々ナイフを入れながら、とにかくたね子を教えるのに彼の全智識を傾けていた。彼女も勿論熱心だった。しかし最後にオレンジだのバナナだのの出て来た時にはおのずからこう云う果物の値段を考えない訣《わけ》には行《ゆ》かなかった。
彼等はこのレストオランをあとに銀座の裏を歩いて行った。夫はやっと義務を果した満足を感じているらしか
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