でに五六歩彼の戸口を離れている。ヨセフは、茫然として、ややともすると群集にまぎれようとする御主《おんあるじ》の紫の衣を見送った。そうして、それと共に、云いようのない後悔の念が、心の底から動いて来るのを意識した。しかし、誰一人彼に同情してくれるものはない。彼の妻や子でさえも、彼のこの所作《しょさ》を、やはり荊棘《いばら》の冠をかぶらせるのと同様、クリストに対する嘲弄《ちょうろう》だと解釈した。そして往来の人々が、いよいよ面白そうに笑い興じたのは、無理もない話である。――石をも焦がすようなエルサレムの日の光の中に、濛々と立騰《たちのぼ》る砂塵《さじん》をあびせて、ヨセフは眼に涙を浮べながら、腕の子供をいつか妻に抱《だ》きとられてしまったのも忘れて、いつまでも跪《ひざまず》いたまま、動かなかった。……「されば恐らく、えるされむは広しと云え、御主《おんあるじ》を辱《はずかし》めた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪もかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようはござらぬ。云わば、御主を磔柱《はりき》にかけた罪は、それがしひとりが負うたようなもので
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