ウんじゃないか?」
「さようでございます。」
これは美津《みつ》が茶を勧《すす》めながら、そっとつけ加えた言葉だった。
「神山さん?」
お絹ははすは[#「はすは」に傍点]に顔をしかめて、長火鉢の側へすり寄った。
「何だねえ。そんな顔をして。――お前さんの所はみんな御達者かえ?」
「ええ、おかげ様で、――叔母さんの所でも皆さん御丈夫ですか?」
そんな対話を聞きながら、巻煙草を啣《くわ》えた洋一は、ぼんやり柱暦《はしらごよみ》を眺めていた。中学を卒業して以来、彼には何日《なんにち》と云う記憶はあっても、何曜日かは終始忘れている。――それがふと彼の心に、寂しい気もちを与えたのだった。その上もう一月すると、ほとんど受ける気のしない入学試験がやって来る。入学試験に及第しなかったら、………
「美津がこの頃は、大へん女ぶりを上げたわね。」
姉の言葉が洋一には、急にはっきり聞えたような気がした。が、彼は何も云わずに、金口《きんぐち》をふかしているばかりだった。もっとも美津はその時にはとうにもう台所へ下《さが》っていた。
「それにあの人は何と云っても、男好きのする顔だから、――」
叔母はやっと
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