瘁tなんぞがあったかしら。――御病人は南枕《みなみまくら》にせらるべく候か。」
「お母さんはどっち枕だえ?」
叔母は半ばたしなめるように、老眼鏡の眼を洋一へ挙げた。
「東枕《ひがしまくら》でしょう。この方角が南だから。」
多少心もちの明《あかる》くなった洋一は、顔は叔母の方へ近づけたまま、手は袂《たもと》の底にある巻煙草の箱を探っていた。
「そら、そこに東枕にてもよろしいと書いてありますよ。――神山さん。一本上げようか? 抛《ほう》るよ。失敬。」
「こりゃどうも。E・C・Cですな。じゃ一本頂きます――。もうほかに御用はございませんか? もしまたございましたら、御遠慮なく――」
神山は金口《きんぐち》を耳に挟《はさ》みながら、急に夏羽織の腰を擡《もた》げて、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》店の方へ退こうとした。その途端に障子が明くと、頸《くび》に湿布《しっぷ》を巻いた姉のお絹《きぬ》が、まだセルのコオトも脱がず、果物《くだもの》の籠を下げてはいって来た。
「おや、お出でなさい。」
「降りますのによくまた、――」
そう云う言葉が、ほとんど同時に、叔母と神山と
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