高烽ニの看護婦に、後《あと》の手当をして貰いながら、昨夜《ゆうべ》父が云った通り、絶えず白い括《くく》り枕の上に、櫛巻《くしま》きの頭を動かしていた。
「慎太郎が来たよ。」
戸沢の側に坐っていた父は声高《こわだか》に母へそう云ってから、彼にちょいと目くばせをした。
彼は父とは反対に、戸沢の向う側へ腰を下した。そこには洋一《よういち》が腕組みをしたまま、ぼんやり母の顔を見守っていた。
「手を握っておやり。」
慎太郎は父の云いつけ通り、両手の掌《たなごころ》に母の手を抑えた。母の手は冷たい脂汗《あぶらあせ》に、気味悪くじっとり沾《しめ》っていた。
母は彼の顔を見ると、頷《うなず》くような眼を見せたが、すぐにその眼を戸沢へやって、
「先生。もういけないんでしょう。手がしびれて来たようですから。」と云った。
「いや、そんな事はありません。もう二三日の辛棒《しんぼう》です。」
戸沢は手を洗っていた。
「じきに楽になりますよ。――おお、いろいろな物が並んでいますな。」
母の枕もとの盆の上には、大神宮や氏神《うじがみ》の御札《おふだ》が、柴又《しばまた》の帝釈《たいしゃく》の御影《みえい
前へ
次へ
全60ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング