、がないわね。家《うち》じゃ女中が二人いたって、ちっとも役にゃ立たないんですよ。」
 お絹はちょいと舌打ちをしながら、浅川の叔母と顔を見合せた。
「この節の女中はね。――私の所なんぞも女中はいるだけ、反《かえ》って世話が焼けるくらいなんだよ。」
 二人がこんな話をしている間《あいだ》に、慎太郎は金口《きんぐち》を啣《くわ》えながら、寂しそうな洋一の相手をしていた。
「受験準備はしているかい?」
「している。――だけど今年《ことし》は投げているんだ。」
「また歌ばかり作っているんだろう。」
 洋一はいやな顔をして、自分も巻煙草《まきたばこ》へ火を移した。
「僕は兄さんのように受験向きな人間じゃないんだからな。数学は大嫌いだし、――」
「嫌いだってやらなけりゃ、――」
 慎太郎がこう云いかけると、いつか襖際《ふすまぎわ》へ来た看護婦と、小声に話していた叔母が、
「慎ちゃん。お母さんが呼んでいるとさ。」と火鉢越しに彼へ声をかけた。
 彼は吸いさしの煙草を捨てると、無言のまま立ち上った。そうして看護婦を押しのけるように、ずかずか隣の座敷へはいって行った。
「こっちへ御出で。何かお母さんが用があ
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