驍チて云うから。」
 枕もとに独り坐っていた父は顋《あご》で彼に差図《さしず》をした。彼はその差図通り、すぐに母の鼻の先へ坐った。
「何か用?」
 母は括《くく》り枕の上へ、櫛巻《くしま》きの頭を横にしていた。その顔が巾《きれ》をかけた電燈の光に、さっきよりも一層|窶《やつ》れて見えた。
「ああ、洋一がね、どうも勉強をしないようだからね、――お前からもよくそう云ってね、――お前の云う事は聞く子だから、――」
「ええ、よく云って置きます。実は今もその話をしていたんです。」
 慎太郎はいつもよりも大きい声で返事をした。
「そうかい。じゃ忘れないでね、――私も昨日《きのう》あたりまでは、死ぬのかと思っていたけれど、――」
 母は腹痛をこらえながら、歯齦《はぐき》の見える微笑をした。
「帝釈様《たいしゃくさま》の御符《ごふ》を頂いたせいか、今日は熱も下ったしね、この分で行けば癒《なお》りそうだから、――美津《みつ》の叔父《おじ》さんとか云う人も、やっぱり十二指腸の潰瘍《かいよう》だったけれど、半月ばかりで癒ったと云うしね、そう難病でもなさそうだからね。――」
 慎太郎は今になってさえ、そんな事
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