齔lは、ちょうど踏台の上にのりながら、高い棚《たな》に積んだ商品の箱を取り下そうとしている所だった。
「ただ今じゃありませんよ。もうそちらへいらっしゃる時分だって云っていましたよ。」
「そうか。そんなら美津のやつ、そう云えば好いのに。」
洋一は電話を切ってから、もう一度茶の間へ引き返そうとした。が、ふと店の時計を見ると、不審《ふしん》そうにそこへ立ち止った。
「おや、この時計は二十分過ぎだ。」
「何、こりゃ十分ばかり進んでいますよ。まだ四時十分過ぎくらいなもんでしょう。」
神山は体を※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ねじ》りながら、帯の金時計を覗いて見た。
「そうです。ちょうど十分過ぎ。」
「じゃやっぱり奥の時計が遅れているんだ。それにしちゃ谷村さんは遅すぎるな。――」
洋一はちょいとためらった後《のち》、大股《おおまた》に店さきへ出かけて行くと、もう薄日《うすび》もささなくなった、もの静な往来を眺めまわした。
「来そうもないな。まさか家《うち》がわからないんでもなかろうけれど、――じゃ神山さん、僕はちょいとそこいらへ行って見て来らあ。」
彼は肩越しに神山へ、こう
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