ノ、黙然《もくねん》と新聞をひろげたまま、さっき田村《たむら》に誘われた明治座の広告を眺めていた。
「それだからお父さんは嫌になってしまう。」
「お前よりおれの方が嫌になってしまう。お母さんはああやって寝ているし、お前にゃ愚痴《ぐち》ばかりこぼされるし、――」
洋一は父の言葉を聞くと、我知らず襖《ふすま》一つ向うの、病室の動静に耳を澄ませた。そこではお律《りつ》がいつもに似合わず、時々ながら苦しそうな唸《うな》り声を洩《も》らしているらしかった。
「お母さんも今日は楽じゃないな。」
独り言のような洋一の言葉は、一瞬間彼等親子の会話を途切《とぎ》らせるだけの力があった。が、お絹はすぐに居ずまいを直すと、ちらりと賢造の顔を睨《にら》みながら、
「お母さんの病気だってそうじゃないの? いつか私がそう云った時に、御医者様を取り換えていさえすりゃ、きっとこんな事にゃなりゃしないわ。それをお父さんがまた煮え切らないで、――」と、感傷的に父を責め始めた。
「だからさ、だから今日は谷村博士《たにむらはかせ》に来て貰うと云っているんじゃないか?」
賢造はとうとう苦《にが》い顔をして、抛《ほう》り出
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