ヘ遠くへ眼をやりながら、何事もないように歩いていた。――
そんな事を考えると、兄がすぐに帰って来るかどうか、いよいよ怪しい心もちがする。殊に試験でも始まっていれば、二日や三日遅れる事は、何とも思っていないかも知れない。遅れてもとにかく帰って来れば好《い》いが、――彼の考がそこまで来た時、誰かの梯子《はしご》を上って来る音が、みしりみしり耳へはいり出した。洋一はすぐに飛び起きた。
すると梯子の上《あが》り口《ぐち》には、もう眼の悪い浅川の叔母《おば》が、前屈《まえかが》みの上半身を現わしていた。
「おや、昼寝かえ。」
洋一はそう云う叔母の言葉に、かすかな皮肉を感じながら、自分の座蒲団《ざぶとん》を向うへ直した。が、叔母はそれは敷かずに、机の側へ腰を据えると、さも大事件でも起ったように、小さな声で話し出した。
「私は少しお前に相談があるんだがね。」
洋一は胸がどきり[#「どきり」に傍点]とした。
「お母さんがどうかしたの?」
「いいえ、お母さんの事じゃないんだよ。実はあの看護婦だがね、ありゃお前、仕方がないよ。――」
叔母はそれからねちねちと、こんな話をし始めた。――昨日あの看護
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