とかすかな叫び声を洩らした。それは素裸足《すはだし》に大黒傘を下げた、まだ年の若い女だつた。彼女は殆ど衝動的に、もと来た雨の中へ飛び出さうとした。が、最初の驚きから、やつと勇気を恢復すると、台所の薄明りに透《す》かしながら、ぢつと乞食の顔を覗《のぞ》きこんだ。
 乞食は呆気《あつけ》にとられたのか、古|湯帷子《ゆかた》の片膝を立てた儘、まじまじ相手を見守つてゐた。もうその眼にもさつきのやうに、油断のない気色《けしき》は見えなかつた。二人は黙然《もくねん》と少時《しばらく》の間、互に眼と眼を見合せてゐた。
「何だい、お前は新公ぢやないか?」
 彼女は少し落ち着いたやうに、かう乞食へ声をかけた。乞食はにやにや笑ひながら、二三度彼女へ頭を下げた。
「どうも相済みません。あんまり降りが強いもんだから、つい御留守へはひこみましたがね――何、格別明き巣狙ひに宗旨を変へた訣《わけ》でもないんです。」
「驚かせるよ、ほんたうに――いくら明き巣狙ひぢやないと云つたつて、図々しいにも程があるぢやないか?」
 彼女は傘の滴《しづく》を切り切り、腹立たしさうにつけ加へた。
「さあ、こつちへ出ておくれよ。わたし
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