ろ、頬笑《ほほゑ》みらしいものが動いてゐる。
「マツチは?」
女の目も亦猫とすれば、喉《のど》を鳴らしさうに媚《こび》を帯びてゐる。主人は返事をする代りにちよいと唯|点頭《てんとう》した。女は咄嗟《とつさ》に(!)勘定台の上へ小型のマツチを一つ出した。それから――もう一度|羞《はづか》しさうに笑つた。
「どうもすみません。」
すまないのは何も朝日を出さずに三笠を出したばかりではない。保吉は二人を見比べながら、彼自身もいつか微笑したのを感じた。
女はその後いつ来て見ても、勘定台の後ろに坐つてゐる。尤も今では最初のやうに西洋髪などには結《ゆ》つてゐない。ちやんと赤い手絡《てがら》をかけた、大きい円髷《まるまげ》に変つてゐる。しかし客に対する態度は不相変妙にうひうひしい。応対はつかへる。品物は間違へる。おまけに時々は赤い顔をする。――全然お上《かみ》さんらしい面影《おもかげ》は見えない。保吉はだんだんこの女に或好意を感じ出した。と云つても恋愛に落ちた訣《わけ》ではない。唯|如何《いか》にも人慣れない所に気軽い懐しみを感じ出したのである。
或残暑の厳《きび》しい午後、保吉は学校の帰りがけにこ
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