の店へココアを買ひにはひつた。女はけふも勘定台の後ろに講談倶楽部《かうだんくらぶ》か何かを読んでゐる。保吉は面皰《にきび》の多い小僧に Van Houten はないかと尋ねた。
「唯今あるのはこればかりですが。」
 小僧の渡したのは Fry である。保吉は店を見渡した。すると果物の罐詰めの間に西洋の尼さんの商標をつけた Droste も一罐まじつてゐる。
「あすこに Droste もあるぢやないか?」
 小僧はちよいとそちらを見たきり、やはり漠然とした顔をしてゐる。
「ええ、あれもココアです。」
「ぢやこればかりぢやないぢやないか?」
「ええ、でもまあこれだけなんです。――お上《かみ》さん、ココアはこれだけですね?」
 保吉は女をふり返つた。心もち目を細めた女は美しい緑色の顔をしてゐる。尤もこれは不思議ではない。全然|欄間《らんま》の色硝子を透かした午後の日の光の作用である。女は雑誌を肘《ひぢ》の下にしたまま、例の通りためらひ勝ちな返事をした。
「はあ、それだけだつたと思ふけれども。」
「実は、この Fry のココアの中には時々虫が湧いてゐるんだが、――」
 保吉は真面目に話しかけた。しかし実際
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