女はきまつて短かく刈りこんだ土手の草の上に坐つて花を摘んでゐるのです
私は
彼女が土手の草の上に坐つて花を摘んでゐることを想ひます
そして
彼女が水のやうな風に吹かれて立ちあがるのを待つてゐるのです
たひらな壁
たひらな壁のかげに
路があるらしい――
そして
その路は
すましこんだねずみか
さもなければ極く小さい人達が
電車に乗つたり子供をつれたりして通る西洋風の繁華な街だ
たひらな壁のかげは
山の上から見える遠くの方の街だ
或る少女に
あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです
もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
私は好きでたまらないにちがひない
七月の 朝の
あまりよく晴れてゐない
七月の 朝の
ぼんやりとした負け惜みが
ひとしきり私の書斎を通つて行きました
――後
先の尖がつた鉛筆のシンが
私をつかまへて離さなかつた
(電話)
「モシモシ――あなたは尾形亀之助さんですか」
「いいえ ちがひます」
小石川の風景詩
空
電柱と
尖つた屋根と
灰色の家
路
新らしいむぎわら[#「むぎわら」に傍点]帽子と
石の上に座[#「座」に「ママ」注記]る乞食
たそがれどきの
赤い火事
あいさつ
夕方になつてきて
太陽が西の方へ入[#「入」に「ママ」注記]いらうとするとき
きまつて太陽が笑ひ顔をする
ねんじ[#「じ」に「ママ」注記]う 俺達の世の中を見て
「さよ[#「よ」に「ママ」注記]うなら」のかはりに苦笑する
そこで 俺も酔つぱらひの一人として
「ね 太陽さん俺も君もおんなじぢあないか――あんたもご苦労に」と言つてやらなければなるまいに
風のない日です
女さえ見れば色欲を起す男は
或る日とうとう女に飛びついた
――が
塔のスレートを二三枚わつただけですみました
女が眠ってゐる
明るい電車の中に
青いうら[#「うら」に傍点]と
赤いうら[#「うら」に傍点]と
白いすね[#「すね」に傍点]を少し出して窓にもたれて眠つてゐる 女
乗客はみな退屈してゐます
昼のコツクさん
白いコツクさん
コロツケが 一つ
床に水をまきすぎた
コツクさん
エプロンかけて
街は雨あがり
床屋の鏡のコツクさん
昼ちよつと前だ
コツクさん
夏
空のまん中で太陽が焦げた
八月は空のお祭りだ
何んと澄しこんだ風と窓だ
三色菫だ
無題詩
ある眠つた若い女のよこ顔は
白い色の花の一つが丁度咲き初めた頃
私が その垣のそばを通りかかつて見あげた空が
夕方家へ帰つて見たときに黄ばんでゐたことです
夕暮れに温くむ心
夕暮れは
窓から部屋に這入つてきます
このごろ私は
少女の黒い瞳をまぶたに感じて
少しばかりの温く[#「く」に「ママ」注記]みを心に伝へてゐるものです
夕暮れにうず[#「ず」に傍点]くまつて
そつと手をあげて少女の愛を求めてゐる奇妙な姿が
私の魂を借りにくる
風邪きみです
誰もゐない応接間を
そつとのぞくのです
ちかごろ 唯の一人も訪ねて来るものもない
栄養不良の部屋を
そつと 部屋にけどられないやうにして
壁のすきから息をひそめてのぞくのです
×
風邪《かぜ》がはやります
私も風邪をひいたやうです
白い路
(或る久しく病める女のために私はうつむきに歩いてゐる)
両側を埃だらけの雑草に挟まれて
むくむくと白い頭をさびしさうにあげて
原つぱの中に潜ぐるやうになくなつてゐる路
今 お前のものとして残つてゐるのは
よほど永く病んだ女が
遠くの方で窓から首を出してゐる
不幸な夢
「空が海になる
私達の上の方に空がそのまま海になる
日――」
そんな日が来たら
そんな日が来たら笹の舟を沢山つくつて
仰向けに寝ころんで流してみたい
東雲《しののめ》
(これからしののめの大きい瞳がはじけます)
しののめだ
太陽に燈がついた
遠くの方で
機関車の掃除が始まつてゐる
そして 石炭がしつとり湿つてゐるので何か火夫がぶつぶつ言つてゐるのが聞えるやうな気がする
そして
電柱や煙突はまだよくのびきつてはゐないだろ[#「ろ」に「ママ」注記]う
ある昼の話
疲れた心は何を聞くのもいやだ と云ふのです
勿論 どうすればよいのかもわからないのです
で兎に角――
私は三箱も煙草を吸ひました
かすかに水の流れる音のするあたりは
ライン河のほとりなのか――
×
どうしてこんなだらう と友人に手紙を書いて
私は外出した
夜の花をもつ少女と私
眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた
××
これから夢です
もうとうに舞台も出来てゐる
役者もそろつてゐる
あとはベルさえ[#「え」に「ママ」注記]なれば直ぐにも初まるのです
ベルをならすのは誰れです
××
夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です
少女は静かに私に歩み寄ります
そして
そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです
そして次第に夜の花の数がましてくる
九月の詩
昼寝
かうばしい本のにほひ
おばけが鏡をのぞいてゐた
黄色の袋の中
闇み[#「み」に「ママ」注記]を
小い[#「い」に「ママ」注記]さい黄色の袋の中に畜[#「畜」に「ママ」注記]つた
そして
よく親しんでみると
かすかな温[#「温」に「ママ」注記]くみをためてひつそりとしてゐます
この不透明なくろい生きものは
小い[#「い」に「ママ」注記]さい黄色の袋の中に腰をかけて
煙りをいつぱいにして
煙草をのんでゐることがあるのです
雨 雨
DORADORADO――
TI−TATATA−TA
TI−TOTOTO−TO
DORADORADO
TI−TOTOTO−TO
DORADORADO――
雨は
ガラスの花
雨は
いちんち眼鏡をかけて
年のくれの街
街は夕方ちかかつた
風もないのに
寒む[#「む」に「ママ」注記]さは服の上からしみこんでくる
何とまあ――沢山の奥さん方は
お買物ですか
まるでねずみのやうに集つて
左側を通つて下さい
左側を――
左側を通らない人にはチヨウクでしるしをつけます
情慾
何んでも私がすばらしく大きい立派な橋を渡りかけてゐました ら――
向ふ[#「ふ」に「ママ」注記]側から猫が渡つて来ました
私は ここで猫に出逢つてはと思ふと
さう思つたことが橋のきげんをそこねて
するすると一本橋のやうに細くなつてしまひました
そして
気がつくと私はその一本橋の上で
びつしよりぬれた猫に何か話しかけられてゐました
そして猫には
すきをみては私の足にまきつこ[#「こ」に「ママ」注記]うとするそぶりがあるのです
毎夜月が出た
1−
月が出て 夜が青く光つてゐる
はつきり生きてゐるとは云へないが 肉色のものが 数へきれないほど奇妙な形をして動いてゐる
何か悩や[#「や」に「ママ」注記]んででもゐるやうに そしてどこかしらに性のちがひを示して 極く接してゐるものもある
しかしこのときも天性は愉快な夢を見てゐた そして何かわからぬが苦が[#「が」に「ママ」注記]笑ひをしてゐた
寝不足をしてゐるのかもしれない
夢の中に お[#「お」に「ママ」注記]かしいことがあつてこらへきれずに 笑ひを口もとに浮かべてしまつたのかも知れない
でも 胸は静かに息をしてゐた
広広した中に胸だけが大きく息をしてゐるのが見えた
2−A
月の匂ひの寂び[#「び」に「ママ」注記]しげな中に しつとりと春がとけこんで淋び[#「び」に「ママ」注記]しい者は自分の名を呼ぶ笛のやうな響をかすかに心に聞いた――
淋みしい 淋みしい――
春
何処かに一人ぐらゐは自分を愛してゐる者があるだらう――青年は山に登つて遠くを見つめてゐる
空と 地べたに埋もれてゐるのは
と 青年は自分の大きな手をひろげてつくづくと見入る
そして青年の言葉は彼の指さきから離れて 遠く高い煙突などにまぎれて極まりなく飛んで行つてしまふ
まもなく青年は彼の部屋に 寝台の上に弱々しく埋づまつてゐる
青年の夢は昨日からつづいてゐる
とぎれた心と心がむすびつかふ[#「ふ」に「ママ」注記]とする まつ白な夢だ
夜半 青年は夢に疲れて寝言を云つた
彼のさし伸べた手の近くにすすけたランプと 山で別れた言葉が幽霊のやうに立つてゐた
すすけたランプの古臭い微笑が さし伸べた彼の指さきに吸ひ込まれたやうに消えると部屋は再び
うす暗くなつて
いま 彼はひとり部屋の中に眠つてゐる
2−B
或る所に
月が出るやうになると 女が男のもとへ通つた
そして 夜の青じろい月を女は指した
黒い男と女の影のやうなものが、男と女の足もとのところから出て地べたを這つてゐた
紙のやうに薄い 白い女の顔が男の顔へ掩ひかぶさると――
月はそれを青く染め変へた
3−A
ゆらゆらと月が出た
月が空に鏡をはりつめた
高いのと遠いので虫のやうに小い[#「い」に「ママ」注記]さく人が写つてゐた
家家では窓をしめて燈をともした
娘は 安楽椅子に腰かけて歌をうたつた
この わるい幻想の季節の娘について 親達は心を痛めてゐたが
娘はその手招きを見てゐた
そして 少しづつかたむいてゆく心に何かしら望みをかけてゐた
娘は白粉をつけていたが青く見えた
娘はうつむいて 死んだ目白のことを思つてゐた
あわ[#「わ」に「ママ」注記]れでならなかつた
月にてらされて地べたに浅く埋づまつてゐることを思つた
娘は庭へ出た
そして 娘は月に照らされた
娘は 月夜のかなしい思慕に美しい顔を月にむけて
そこには梅の木や松の木の不思議にのびた平らな黒い影があつた
そして その上に月が出てゐた
娘はかなしい歌をうたつた
そして瞳はぬれて 静かに歩る[#「る」に「ママ」注記]いてゐた
娘は鬱蒼と茂つた森林に這入つた
そして そこで娘は彼女のやさしい心にささやいた
「美しい月夜」
立木は眠つてゐた 彼女は失な[#「な」に「ママ」注記]つたものをやさしい彼女の心にたづねた
娘は蒼白な月につつまれてにつこりともしない
そして娘はそつと部屋に這入つた
月の光りは部屋の中に明るい海のやうに漂つてゐた
窓近く娘は椅子をひき寄せた
十八になつた 娘はかなしい
月が遠い
娘は顔を掩つた
と―― 祭りのやうなうたごゑが次第にたかまつてきて娘の耳にも聞きとれさうであるが それは静かな雨の夜にポツンと雨の一しづくがとよ[#「よ」に「ママ」注記]をうつやうな わけもなく淋みしい音色を引いてゐた
娘の心の底から湧いてくるやうに でもあつた
娘は眠つてゐるやうに動かない
娘の影が少しづつずれて、そして彼女から離れてしまつた
そして 月の光りの中に娘の影は笛のやうに細く浮んでゐた
3−B
娘が窓から月を見てゐた
はなやかな月夜の夕暮れである
「ああ 消えてゆきさうな――」と娘は身をかばう[#「う」に「ママ」注記]やうに窓を閉めた
明るく照らされた窓を 月が見てゐた
そして 娘の見た幻想の中に 自分を見つけた
針金のやうに細く 青く 水のやうに孤独な人格をもつた自分を――
月が娘の窓近く降りて来ると 部屋の中に力なくすすり泣く娘のなげきを聞いた
「恋人よ――
恋人よ――
今宵は月までが泣いてゐる」
娘は泣きぬれて顔をあげた
月は窓を離れた そしてさりげなく月は笛のやうにせまく細く青い 娘の幻想をよこぎつて通つた
月は天に帰るまで娘の嗚咽を聞いた
月の忍びの足音は消された
あたりはしんとした
空に青い月が出てゐた
4−
青い月夜の夕暮がつゞいてゐた
人人は 娘の泣く不思議な感情になやまされた
老人の一人娘も その隣りの娘も
美しいばかりに 冷め[#「め」に「ママ」注記]たい顔をして泣きくれてゐた
娘はみな泣いてゐた
泣きごゑがふるへて風に吹かれた
そして空の方へ消えていつた
人人は空を見あげた
娘らの泣くこゑの消える
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