詩集<色ガラスの街>
尾形亀之助

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)紅葉《もみじ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ア[#「ア」に点]
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此の一巻を父と母とに捧ぐ

序の一 りんてん機とアルコポン

× りんてん機は印刷機械です
× ア[#「ア」に丸傍点]ルコポンはナ[#「ナ」に丸傍点]ルコポン(魔酔薬)の間違ひです

私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出来上るやうにと思つてゐたので 逢う[#「う」に「ママ」の注記]人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました 十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二月が近くなりました それでも私はまだ 雑誌の形ででもよいと思つてゐるのです

×

そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです
で 今私はここで小学生の頃 まはれ右[#「まはれ右」に傍点]を間違へたときのことを再び思ひ出します
          一千九百二十五年十一月


序の二 煙草は私の旅びとである

朝早くから雨が降つてゐた
そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻がゐる 私は二階の書斎に 妻は台所にゐる

これは人のゐない街だ

一人の人もゐない、犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて来たやうな気味のわるい街です
街路樹も緑色ではなく 敷石も古る[#「る」に「ママ」の注記]ぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐる どことなく顔のやうな街です 風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です
何時頃から人が居なくなつたのか 何故居なくなつたのか 少しもわからない街です
       *   *       
         *   *
それは
「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく
私の旅びとである

そして
私の退屈を淋しがらせるのです


八角時計

私は
交番所のきたない八角時計の止つてゐるのを見たことがない

もちろん――
私はことさらに交番をのぞくことを好まない

×

八角時計は 何年か以前の記憶かも知れない


明るい夜

一人 一人がまつたく造花のよ[#「よ」に「ママ」の注記]うで
手は柔らかく ふくらんでゐて
しなやかに夜気が蒸れる

煙草と
あついお茶と

これは――
カステーラのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに
明るい夜だ


散歩

とつぴな
そして空想家な育ちの心は
女に挨拶をしてしまつた

たしかに二人は何処かで愛しあつたことがあつた筈だと言ふのですが

そのつれの男と言ふのが口髭などをはやして
子供だと思つて油断をしてゐたカフヱーのボーイにそつくりなのです


音のしない昼の風景

工場の煙突と それから
もう一本遠くの方に煙突を見つけて
そこまで引いていつた線は

唖が 街で
唖の友達に逢つたよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな


十二月の無題詩

十二月のダンダラ
      ――DANDARA

それは
少女の黄色い腰をつつむ
一ペンのネル[#「ネル」に傍点]である

×

穴のあいたよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな
十二月の昼の曇天に
私はうつかり相手に笑ひかける



(春になつて私は心よくなまけてゐる)

私は自分を愛してゐる
かぎりなく愛してゐる

このよく晴れた
春――
私は空ほどに大きく眼を開いてみたい

そして
書斎は私の爪ほどの大きさもなく
掌に春をのせて
驢馬に乗つて街へ出かけて行きたい


題のない詩

話はありませんか
――やせた女の……


やせた女は慰めもなく
肌も寂しく襟をつくろひます

ありませんか――
ありませんか――

静かに
夕方ににじむやせた女の
――話は


夜の庭へ墜ちた煙草の吸ひがら

夜る[#「る」に「ママ」の注記]
少し風があつたので
私はうつかり二階の窓からすてた煙草の吸ひがらが気がかりになりました

―――――――

ねづ[#「づ」に「ママ」の注記]みの糞を庭に埋めたら豆が生え
そして
のびのび のびあがつて雲の上で花が咲いて実がなつた
そして
実がはじけて地べたにころがり落ちた

―――――――

それが
今――
私の捨てた火のついた煙草の吸ひがらだつたのです


昼の部屋

女は 私に白粉の匂ひをかがさうとしてゐるらしい

――女・女

(スプーンがちよつと鉛臭いことがありますが それとはちがひますか)

午後の陽は ガラス戸越に部屋に溜つて

そとは明るい昼なのです


夜半 私は眼さめてゐる

さびた庖丁で 犬の吠え声を切りに
月夜の庭に立ちすくむ――

×

これは きつと病気だ

あの女の顔が青かつた

キツスから うつつたのだ

×

夜半 私はそのことで眼を醒ましました


煙草

私が煙草をすつてゐると
少女は けむい[#「けむい」に傍点]と云ひます


昼ちよつと前です

すてきな陽気です

×

マツチの箱はからで
五月頃の空気がいつぱいつまつてゐる

このうすつぺらな
昼やすみちよつと前の体操場はひつそりして きれいに掃除がしてある




円い山の上に旗が立つてゐる

空はよく晴れわたつて
子供等の歌が聞えてくる

紅葉《もみじ》を折つて帰る人は
乾いた路を歩いてくる

秋は 綺麗にみがいたガラスの中です


病気

ヤサシイ娘ニイダカレテヰル トコロカラ私ノ病気ガ始マリマシタ

私ハ バイキンノカタマリニナツテ
娘ノ頬ノトコロニ飛ビツキマシタ

娘ハ私ヲ ホクロトマチガヘテ
丁度ヨイトコロニイ[#「イ」に「ママ」の注記]ル私ヲ中心ニシテ化粧ヲシマス


寂しすぎる

雨は私に降る――
私の胸の白い手の上に降る

×

私は薔薇を見かけて微笑する暗示をもつてゐない

正しい迷信もない
そして 寝床の中でうまい話ばかり考へてゐる


猫の眼月

嵐がやんで
大きくくぼんだ空に
低く 猫の眼のよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな月が出てゐる

私の静物をぬすんでいつたのはお前にちがひない――
嵐のあとを
お前がいくら猫の眼に化けても

お前に眼鏡をとられるよ[#「よ」に「ママ」の注記]うなことのないやうにさつきから用心してゐる


隣の死にそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな老人

隣りに死にそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな老人がゐる

どうにも私は
その老人が気になつてたまらない
力のない足音をさせたり
こそこそ戸をあけて這入つていつて
そのまま音が消えてしまつたりする
逢ふまいと思つてゐるのに不思議によく出あふ
そして
うつかりすると私の家に這入つてきそ[#「そ」に「ママ」の注記]うになる


ある来訪者への接待

どてどてとてたてててたてた
たてとて
てれてれたとことこと
ららんぴぴぴぴ ぴ
とつてんととのぷ

んんんん ん

てつれとぽんととぽれ

みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ
ぺろぺんとたるるて


一本の桔梗を見る

かはいそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな囚人が逃げた
一直線に逃げた

×

雨の中の細路のかたはら
草むらに一本だけ桔梗が咲いてゐる


昼の雨

土手も 草もびつしよりぬれて
ほそぼそと遠くまで降つてゐる雨

雨によどんだ灰色の空

松林の中では
祭りでもありそ[#「そ」に「ママ」の注記]うだ


曇天

遠くの停車場では
青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ

晴れてはゐてもそのために
どこかしらごみごみしく
無口な人達ではあるがさはがしく
うす暗い停車場は
いつそう暗い

美く[#「く」に「ママ」の注記]しい人達は
顔を見合せてゐるらしい


月が落ちてゆく

赤や青やの灯のともつた
低い街の暗ら[#「ら」に「ママ」の注記]がりのなかに
倒しまになつたまま落ちてしまひそ[#「そ」に「ママ」の注記]うになつてゐる三日月は
いそいでゆけば拾ひ[#「ひ」に「ママ」の注記] そ[#「そ」に「ママ」の注記]うだ

三日月の落ちる近くを私の愛人が歩いてゐる
でも きつと三日月の落ちかかつてゐるのに気がついてゐないから

私が月を見てゐるのを知らずにゐます


彼は待つてゐる

彼は今日私を待つてゐる
今日は来る と思つてゐるのだが
私は今日彼のところへ行かれない

彼はコツプに砂糖を入れて
それに湯をさしてニユームのしやじでガジヤガジヤとかきまぜながら
細い眼にしは[#「は」に「ママ」の注記]をよせて
コツプの中の薄く濁つた液体を透して空を見るのだ

新しい時計が二時半
彼の時計も二時半
彼と私は
そのうちに逢ふのです


螻蛄《おけら》が這入つて来た

秋になつた――

螻蛄がこそこそ這入つて来た
くだのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うなからだを引きずつて這入つて来た
遠慮でもしてゐるよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに
頭のところにばかりついてゐる足を動かして
近路をしに部屋に這入つて来たよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに
気がねそ[#「そ」に「ママ」の注記]うに歩いて 




私は椅子に坐つてゐる

足は重くたれて
淋び[#「び」に「ママ」の注記]しくゐる

私は こ[#「こ」に「ママ」の注記]うした私に反抗しない

私はよく晴れた春を窓から見てゐるのです


天国は高い

高い建物の上は夕陽をあびて
そこばかりが天国のつながりのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに
金色に光つてゐる

街は夕暮だ

妻よ――
私は満員電車のなかに居る


私 私はそのとき朝の紅茶を飲んでゐた

私の心は山を登る

そして
私の心は少しの重みをもつて私について来る

×

十一月の晴れわたつた朝
私は新ら[#「ら」に「ママ」の注記]しい洋服にそでをとほしてゐる

×

髪につけた明るいりぼん[#「りぼん」に傍点]に
私の心は軽る[#「る」に「ママ」の注記]い


私は待つ時間の中に這入つてゐる

ひつそりした電車の中です
未だ 私だけしか乗つてはゐません

赤い停車場の窓はみなとざされてゐて
丁度――
これから逢ひにゆく友が
部屋のなかに本を読んでゐるのですが
煙草を吸ふことを忘れてゐるので何か退屈そ[#「そ」に「ママ」の注記]うにしてゐます


春の街の飾窓

顔をかくしてゐるのは誰です

私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです

―――――――


犬の影が私の心に写つてゐる

明るいけれども 暮れ方のやうなもののただよつてゐる一本のたて[#「たて」に傍点]の路――
柳などが細々とうなだれて 遠くの空は蒼ざめたがらすのやうにさびしく
白い犬が一匹立ちすくんでゐる

おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい

×
[#ここから3字下げ]
   私は 雲の多い月夜の空をあはれなさけび声をあげて通る犬の群の影を見たことがある
[#ここで字下げ終わり]


五月の花婿

青い五月の空に風が吹いてゐる

陽ざしのよい山のみねを
歩いてゐる ガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は
金魚のやうにはなやかで
新ら[#「ら」に「ママ」注記]しい時計のよ[#「よ」に「ママ」注記]うに美く[#「く」に「ママ」注記]しい

ガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は
五月の気候の中を歩いてゐる


無題詩

ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと


十二月の路

のつぺりと私をたいらにする影はいつたい何です

蝶のかげでせうか
それとも 少女の微笑なのかしら

晴れた十二月の路に
私のかげは潰されたよりずつと平らです


五月

或る夕暮
なまぬるい風が吹いて来た

そして
部屋の中へまでなまぬるい風が流れこんできた

太陽が――馬鹿のよ[#「よ」に「ママ」注記]うな太陽が
遠くの煙突の所に沈みかけてゐた



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