家へかへってだまっとってお呉んなよ!』
老婆は帰途にふとみつ子に向ってさう云った。
老婆には過ぎ去った昔が訳もなく懐しかった。何も彼もごっちゃになって思ひ出された。そして『おとし、おとし』と娘の名が口癖に出て来た。おとしと父親と二人で暮した時代の事が何彼につれて頭を去らなかった。楽しかった事はみなその時代のこととして思ひだされた。蔭ではよくそのことについて笑ひ合った。『娘もいつまでも娘で居りゃせんに!』と云った。
だが老婆にはどう思っても事実年齢から云へば五十にも六十にもなってゐる筈の娘を考へることは出来なかった。若くて頼もしい娘の面影がいつも目の底から消えなかった。
老婆は信心を持たなかった。さういふ境遇には育って来なかった。だから死後の事を考へはしなった。ただ死ぬ時を案じた。ころりと死に度いといふ事丈を願った。誰か近処の年寄が楽往生したことを聞くと老婆はしんから羨しがった。
『おばあさまいつまでもおたっしゃで……』
近処の者は近頃ひどく老い込んだ様子で曽孫の子守をしてゐる老婆を見るとさう挨拶した。
「達者どころではない! 俺ももうお暇の出る時分ずらよ!」
『おひまなんか
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