ゃないに……一寸声を掛けと呉れりゃそれで済むことぢゃないかな!』
 かめよにさう云はれると、嵐の荒れ狂ったやうな胸のうちがすこしをさまって来るやうな気になった。
 老婆はもの憂く立ち上って炉端へ膳を運んだ。

 もう秋も末だった。
 きびしい霜が白々と降りた朝だった。
 一晩のうちに外の面のものが黒く素枯れて行く恐ろしい寒気は家の内へも侵入して来て、ひしひしと老婆の五体に滲み通った。
 その朝から老婆は腰が立てなくなり、部屋のうちを這い廻ってゐた。何気なく水を運んで来た繁子は老婆の変り果てた姿にびっくりさせられた。老婆はもうすっかり痴呆状態になってゐて人の声さへ耳に入らなかった。
 かめよはその頃、盲腸炎を病んで町の病院で手術後の危険な時期を呻吟してゐた。
『どうもおばあには弱ったよ、臀の始末が自分で出来ん癖に、自分で始末する気でウロウロ這ひだしたりそこら汚したりして……』
 夫の話を聞いて、かめよはなんたらことだかと思った。(おばあさまは俺が引受けたつもりだったに)さう思ふと自分の体が歯掻ゆかった。
 さう思ふかめよも既に六十を越えた老体で病後の経過がはかばかしくは行かなかった。
 
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