春蚕前、喜八郎があちらで大病をして、志津は胸の潰れる程心配したがその時、おときが或る黒焼薬を持ってきて呉れたのだった。
「うちのお父っさまが大患ひした時飲んだ残りだけれど……」さう云って渡して呉れたのだがその薬と云ふのは、おときの妹が縁づいてゐる大沢部落の方で手に入れたので、この四倍許りで十五円も出したといふ話しだった。志津はおときの親切を涙を流して感謝した。そして誰よりもおときを頼りに思った。
「そりゃまあ喜八郎まもいい按配だ。なんちゅっても若い者はよくなりたちぁ一気だで……」
おときは急に忙しさうに「まあお上りなさいましょ」さう挨拶して坂を下りて行った。
おときのやうに働く女もなかった。毎年の様に子を産んだが三日目にはもう起きて働いた。年取ってゐて体の弱い亭主を実に大切にして、(おときの亭主孝行は有名だった)一日置位に薬草の風呂を立てる事を欠かさなかった。志津は子供を連れて折々風呂を招ばれに行った。
「おときさもああやってひとりで賄切り廻して行くんだで、なんちゅっても偉いお嬶っさまさ、ちィったあ噂も云はんならんらよ!」
蔭での評判はさうだった。
志津は屋敷畑を下りて石垣下の
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