た。
その年第四番目の子が生れて清作と名付けた。喜八郎も善次郎も直接《じか》には響いて来ぬ名だったが清作の名には身に痛い覚えの有る者が多かった。
「清作だって?フン、福本清作ちふ偉い人があるでな! さんざ膏を絞られといてまんだ拝んどりゃ世話はねえ……」
さう云って憤慨したり笑ったりしたものだ。
遂に大きな本宅も取払はれた。二反歩近い屋敷跡には裏手の隅っこにたった一つ文庫蔵が残された。利国達はその土蔵の軒に廂をかけて起伏する事になった。土蔵は福本の所有であり、敷地は利国の生家の中村家の名儀になってゐた。
揚句の果に利国はふいと中風になって寝就いて了った。
「森田もささらほうさら[#「ささらほうさら」に丸傍点]だ!」部落の者は集るとその話になった。
何んと云っても目の前に見事に没落して行く家を見るのは痛快だった。
やがて利国も死んで行った。四十をやっと越えた年で……。みさ子が生れて半年経たぬ頃だった。志津は僅かの歳月の間に五つの葬式を見送った。周囲の事情がすっかり変化して了った。利国の葬式の時、手伝ひに来てゐた合田のおときが、
「以前で云やァ第一の子分だもの、無い者ぢゃないんだ
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