なかった。深い林が伐りつくされた為に他ならなかった。
「森田のおばあさまも死ぬ時分には中井の水どこぢゃなかっつらよ!」
 佐賀屋の勝太は谷の田圃へ通って行く時、水を飲みに泉に寄り乍ら感慨深く思ふのだった。
          七
 森田家が潰れても大部分の部落の者は依然として貧乏だった。否反対に山がなくなった丈でも目に見えて困る事が有った。
 例へば以前は「おもらひ申します」と云って頭を下げれば近くの山に入って枯枝を拾ふ事も出来た。無断で伐っても雑木は大目に見られてゐたものだった。それが今では杭《くぎ》ん棒一本手に入れるのも容易ではなくなった。
 四五年前、福本の山の盗伐の事で告訴問題が起き上った。昔通りの習慣が崇ったのだ。示談で事済みになったけれど、それは大きな脅威だった。今では焚物一本拾ふも面倒で、大抵の家で燃料に不自由して暮すやうになった。手廻しのいい家では植林の下刈を引受けてやっと冬の焚きものを準備できた。
 松茸山がなくなって、義一の親爺や新蔵は内証の小遣銭が稼げなくなった。
 伐《き》られた山にはもう一度いつとなしに又草が茂り木が生ひ立ってきた。松茸山には小松が一斉に伸び立ちはじめ、雑木山には夥しい漆の若木が茂って来た。
 そして其処には既に二三尺の或は五六尺の檜苗が生々しく育ってゐるのだった。これは伐り跡に直ちに町の福本が植ゑさせたのである。
「これが育つと大したものになるぞ!」
 部落の者は山を見て通る時、檜の見事な育ちぶりにおどろいた。
 福本は隣の同じ岡島部落の方の山林も岡島家の倒れた時手に入れて所有してゐたから、山続きに何百町歩の檜山杉山が、棄て置いても一年一年その価値を高めて行く訳だった。
「あれで岡島区へ中電の発電所が出来て、鉄道が通ったりするとなると、福本の山はどえらい値が出ることになるな!」
「馬鹿だな貴公は! はじめっからそのつもりだったんぢゃないか。ここらの小狡い奴らが束になってかかったって、福本にかなふもんか。沢渡山だって地続きに欲しかったから手に入れたんぢゃないか……。森田の利国さだって最初っから蛇に見込まれた蛙さ……なんだかだ云って搾りとられてしまったんだ!」
「やイやイおだてられてちィっと芸者揚げてさわいで見た位のもんだな!」
「そいでも福本もこの頃は大分神妙になって、方々へ寄附したりして、前ほど悪く云はれんやうになったちふ
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