摘み取ったのを、尾籠の中へ押し込んだ。
 夕闇が静かに追って来て涼しい風がザワザワと桑畑をゆすぶった。
 山には漆の花が咲いて散った。
 森田部落は高い山の上の盆地で他部落へ行くにはどっちへ行くにも坂を降りるか登るかしなければならない。大体岡田村全体が谷間谷間に一部落づつ形成してゐる地勢で他部落との交渉が割に薄かった。大抵のことは部落内でまとめる事が多かった。
 森田家の没落と共に、森田部落の周囲を幾重にも取り捲いてゐた森林が丸坊主に伐り払はれた。
 それは如何にも瞬く間だった。杣が大勢入り込んで杉や檜や松の大木を片端から倒して行った。皮を剥かれた丸太の材木は毎日山を下り、運送に積まれて町の方へ運び去られた。
 跡には赭茶《あかちゃ》けた山の地肌が醜く曝け出され、岩石と切木株がゴツゴツと露はれてとげとげしい感じを与へた。落葉がいくらとなしに積って腐蝕した山の地面は歩むとへんにボコボコとした軟らかい足|触《さは》りがした。そして役にも立たぬ馬酔木《あしび》や躑躅《つつじ》がしょんぼり残された山一杯に木屑《こっぱ》が穢なく散乱した。その木屑を大抵の者が密っと自分の家へ運んだ。家の裏手へ積み上げた者もあった。
「源公の野郎、木っぱと嬶《かかあ》とばくみっこ[#「ばくみっこ」に丸傍点]すりゃがって!」(交換の意)
 源吉の女房が情夫を作って村を出て行く時分にはそんな悪口も云はれたものだ。
 防風林を失った部落はいきなりガランと投げ出された。高い処へ登らなければ見えなかった遠い飯田の町がどこからでも見えるやうになった。
 冬になると駒ヶ嶺颪がぢかに吹きつけた。痩せた部落は一層荒涼と雪に埋められ、家々は一層貧相で見窄らしくなった。
 部落の北の水沢地籍には古くから一つの泉が湧いてゐた。清洌な清水が滾々と絶えず湧いて水車が廻る程豊富な水量だった。
「中井の水は村一番だ。甘露の味がする。俺が死ぬ時は中井の水を死水に取っておくれ」森田の祖母のお安は口癖のやうにそれを云ってゐたものだった。
 志津達姉妹は祖母の命令で折々手桶に汲みに行った。その泉の水が近年めっきり味が落ちて普通の水になって了った。泉も底が浅くなり死んだやうに静かで、みみず[#「みみず」に丸傍点]が白い腹を見せたりするやうになった。
「水までかはった」さう云って何か不思議さうに思ふ者もあった。だがそれは不思議でもなんでも
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