夏蚕時
金田千鶴
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)厭《や》アだな!
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一巣|発見《みつけ》たぞ!
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しん[#「しん」に丸傍点]として
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一
午過ぎてから梅雨雲が切れて薄い陽が照りはじめた。雨上りの泥濘道を学校帰りの子供達が群れて来た。森田部落の子供達だ。
山の角を一つ廻ると、ゴトゴト鳴いてゐた蛙の声がばったり熄んだ。一人の子がいきなり裾をからげて田の中へ入った。そしてヂャブヂャブさせ乍ら蛙を追ひ廻した。
「厭《や》アだな! 秀さはまた着物汚してお父《とう》まに怒られるで……。」
後から来た女の子達のひとりが叫んだ。
「要《い》らんこと吐《こ》くな!」
秀は捉へて来た蛙を掴んで挑んで行ったが、不図思ひ出したやうに、
「久衛、今日はこいつで蜂の巣探さんか」と云った。
「うん、へいご蜂をな!」
「俺らほの兄いまがこないだ一巣|発見《みつけ》たぞ!」
男の子達は口々に叫んだ。秀は蛙の足を握って忽ちクルリッと皮を剥いた。そして棒の先へ串刺に刺した。蛙の肉へ真綿をつけて、その肉をくわへた蜂の行衛を何処迄も追ひ掛けて行く――そして巣を突きとめる、それは楽しい遊びの一つである。
何思ったのか不意に秀は頓狂な声を出した。
「ヤイ、蜂の子飯ァ旨《うめ》いぞ!」と叫んだ。
「美知ちゃん!」女の子の一人が云った。
「わし、昨日晩方通った時|御夕飯《おゆふはん》食べとっつらな!」
「何んで?」
「何んでもな! お夕飯をあんね明るい時分に食べるんだなあ!」
美知子は去年赴任して来た村医の娘である。
水溜りにくると子供達はバシャバシャ泥を飛ばして歩いた。
「美知ちゃん! 長靴は歩きいいら?」
一人が聞いた。美知子は頷いて見せた。
「真佐子ちゃんも長靴ある?」
「ウム、だけどもっと小さいの……」
美知子は云った。するともう一人が云った。
「わしァ今度お母まが製糸から帰る時買って来て呉れるったの!」
「お母まいつ来る?」
「今度の公休日!」
「芳江さはいつかもさう云っとったぢゃないかな? 一寸も買って来りゃせん……。」
堀割を大きく廻ると、左の谷間から運送が一台車輪一杯の狭い道をガタンゴトンと躍り乍ら下って来た。
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