てゐる。栄養不良の葉はすっかり縮んで汚点《しみ》ができ、下枝の方の葉はもう黄色に枯れかかってさはると散りさうだった。
 見渡したところ芽も大分止ってゐるやうだった。売るつもりの春蚕が桑がちっとも売れず、通し桑になったのでどうしても今度は蚕を飼はねばならなかった。それで手に余るとは思ったが枠製三枚飼ふことにして、吉本屋へ催青を頼んであった。
 志津はこれで掃立が出来るだらうかと思ふと心細くて堪らなくなった。
 畝間に作った馬鈴薯が情なくヒョロヒョロ伸び立ってゐる。痩せた土には禄な雑草も生えないで、意地の悪い地縛り草が万遍なくはびこって、黄色い花が日中に凋んでゐる。
 鍬が古くて錆び切ってゐるので、余計削りにくかった。
 先祖がこの土地の草分だったから背後に山を負った南向の丘の上でどこからでも目立つ屋敷地だから痩せた畑は一層身窄らしいものだった。大体屋敷の跡をその儘畑に直したのでザクザクとした砂地で何を作っても育ちが悪かった。ここには元の屋敷を偲ばせる何物も残ってゐなかった。只一つ今草を削ってゐる直ぐ傍らに下水溜がその儘に残ってゐた。土で大方埋まって底に用水が錆色をして溜ってゐる。周囲の木が朽ちて其処だけ莠と蓼が茂ってゐる。
 志津はそのどぶ溜を見るときっと昔の事が思ひ出された。そして自分の佇んでゐる所が元の邸のどの辺に当るかといふ事を判然《はっきり》知る事が出来るのだった。そこが流し元だった。一段上ると上台所だった。東方に細いれんじ[#「れんじ」に丸傍点]窓がある丈でどこからも光線の入らぬ暗い台所だった。明るい台所は金が溜らぬと云はれてゐて隅の方は手探りにする程だった。
 その囲炉裡端の上座にいつもどっしりと坐ってゐた祖母、一生を下女の様に流し元に働き通してゐた母、広い屋敷の内を綺麗に片付けて置くことに気を配ってゐた父、それぞれの顔が浮んで来るやうだった。
 破風造りの大きな家の、十坪の余もある土間の隅には石臼が置いて在って何彼と云へば餅が搗かれた。「色の白いは七難隠すってねえ」さう云って祖母のお安は志津達姉妹の色白で美しいのを自慢した。
 人に逢ふのが嫌ひな質で、いつも籠ってゐた。暗い中の間から奥の座敷へ通ふ廊下の長かった事も思ひ出すことが出来た。
 巌めしい門の外の塀の所を物見のやうにしてゐて、祖母は始終のやうに其処迄出張って来て部落の家々を眺め渡してゐた。
 朝
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