ありました。梅雨《つゆ》があけて、桃《もも》の実《み》が葉っぱの間に、ぞくぞくとまるい頭をのぞかせるころになると、要吉の家の人びとはいっしょになって、そのひとつひとつへ小さな紙袋《かみぶくろ》をかぶせるのでした。要吉の家では、その桃を、問屋《とんや》や、かんづめ工場《こうじょう》などに売ったお金で一年中の暮《くら》しをたてていたのです。夏の盛《さか》りになると、紙袋の中で、水蜜桃は、ほんのりと紅《あか》く色づいていきます。要吉たちは、それをまた、ひとつひとつ、まるで、宝玉《ほうぎょく》ででもあるかのように、ていねいに、そっともぎとるのでした。ですから、自分の家の桃だといっても、要吉たちの口にはいるのは、虫がついておっこったのや、形が悪いので問屋の人にはねのけられたのや、そういった、ほんのわずかのものでした。
 要吉は、ある年《とし》、近所《きんじょ》へ避暑《ひしょ》にきていた大学生たちが、自分の家のえんがわへ腰をかけて、一|粒《つぶ》よりの水蜜桃をむしゃむしゃと、まるで馬が道ばたの草をでもたべるようにたべちらすのを見た時の、うらやましい驚《おどろ》きをいつまでも忘《わす》れることができませんでした。
 ――あんなに大事にしてそだてあげた水蜜桃も、こうした東京の店へくれば、まるで半分《はんぶん》は、箱づみのままにくさっていくのだ。
 要吉はくやしさに思わず、太《ふと》ったおかみさんのからだをむこうへつきとばした夢《ゆめ》を見て目をさましました。
 と思うと、今度《こんど》は、やぶの中へすててきた、ネイブルだの、バナナだの、パイナップルだのが、ひとつひとつ、ぴょんぴょんととび上がって、要吉の胸の上で、わけのわからないダンスをはじめました。そうすると、いつのまにか、いなかのおとうさんや妹《いもうと》たちの顔が、それをとりまいてめずらしそうに見物《けんぶつ》しています。
 ――ほんとうに、家の人たちは、まだバナナさえも見たことがないのだ。要吉は、夢の中で、そういいながら、ごろんとひとつ寝《ね》がえりをうつと、昼間《ひるま》のつかれで、今度は夢もなんにも見ない、深い眠《ねむ》りにおちていきました。

     三

 朝のうちに、店の仕事がかたづくと、要吉は、自転車《じてんしゃ》にのって、方々の家へ御用聞《ごようき》きにでかけなければなりません。それはたいてい、大きな門がまえ
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