の動揺《どうよう》のために、ともすると、よろけそうになるのを、じっとふみこらえて、ランプを片《かた》すみにさしつけると、大きな大入道《おおにゅうどう》のような影法師《かげぼうし》がうしろの板《いた》かべにいっぱいうつった。ぎょっとして、目を見はると、ふいに、すみの方でピカッと光ったものがある。自分は瞬間《しゅんかん》、ぞおっとして、立ちすくんでしまった。光りものは二つ。ランプの光をうけて、らんらんとかがやき、ぐるぐるとほのおのようにうずまいている。
「くまだ!」
 そう気がつくと、自分はかえって、一時|落着《おちつ》いたくらいであった。どうしてくまなぞがはいりこんだものか、そんな疑問《ぎもん》をいだくよゆうもなく、自分は、ランプを持った手を、ぐいと、くまの方にさしだして、一歩《いっぽ》しりぞいて身がまえた。くまは火をおそれる、ということをとっさの間にも、思い出したものとみえる。
「ううううううう………。」
 くまもふいをうたれておどろいたらしく、ひくいうなり声をあげながら、じりじりとしりごみをしはじめた。
「このすきに、にげなければ………。」
 ふっと気がついて、ランプをさしつけたまま、後ずさりにしりぞきはじめると、そのひょうしに、ひどく車がゆれて、自分は足もとのさけに足をふみすべらして、ドシンと横《よこ》だおしになげだされてしまった。くまも、それといっしょに、いやっというほど、大きなからだをかべ板にぶっつけたらしく、はげしくおこって、いっそうものすごいうなり声をたてた。自分はあわてて、とり落したランプをひろい、立ちなおった。しあわせにもランプは消《き》えなかったが、それといっしょに自分は、列車《れっしや》が例《れい》の急勾配《きゅうこうばい》にさしかかろうとしているなと感《かん》じて、ひやりとした。自分は、ブレーキをまかなければならないのだ。
 後《あと》ずさりをして、羽目板《はめいた》にぶつかってしまったくまは、のがれ道のないことをさとったものか、すごい形相《ぎょうそう》をし、牙《きば》をむきだしてとびかかりそうな身がまえをした。自分はむちゅうでランプをさしつけたまま、後ずさりに戸口へ近づき、旗《はた》を持っていた方の手をうしろへまわして戸口をさぐってみると、ぎくっとした。いつの間《ま》にか戸はしまっているではないか、いまの列車の動揺《どうよう》のために、ひとりでにしまったのに相違《そうい》ない。あけようと、あせっても、なにしろ前にくまをひかえて、片手をうしろにまわしての仕事《しごと》だから困《こま》った。くまはいよいよ牙《きば》をむきだし、いまにもとびかかろうという気勢《きせい》を見せている。
「いつものところで、ブレーキをかけることをおこたったら、列車は脱線《だっせん》するかもわからない。けわしい崖《がけ》の中腹《ちゅうふく》を走っている列車は、それと同時《どうじ》に数《すう》十|尺《しゃく》の下に岩《いわ》をかんでいる激流《げきりゅう》に、墜落《ついらく》するよりほかはない。」
 そう思うと、自分は、もうじっとしていられなかった。おそろしさもわすれて、いきなり、さけをひろい上げると、それをくまの方に投《な》げつけておいて、そのひまに戸をあけようとあせった。
「うわう……。」
 ものすごいさけび声が列車の騒音《そうおん》にもまぎれずに、ひびきわたった。ガタピシとひっかかって、戸は動《うご》こうともしない。自分はふり返《かえ》りざま、また、気ちがいのようにランプをふりまわした。くまは、後足《あとあし》で立ち上がったまま赤いランプの光におびえてか、爪《つめ》をとぐねこのように、バリバリとそばの羽目板《はめいた》に爪をたてた。
 一息《ひといき》ついた自分は、とっさに戸の上部《じょうぶ》のガラスまどをやぶろうと考えた。いきなり、うしろをふりむくと、手にした旗《はた》のぼうでガラスをつきくだいた。ガラガラとガラスの破片《はへん》のとびちる音が気味悪《きみわる》くひびいた。同時《どうじ》にくるいたったくまは一声《ひとこえ》高くうなると、自分を目がけてとびかかってきた。あぶないところでむきなおった自分は、むちゅうで、横ざまにからだをなげだした。そのひょうしに、シグナル・ランプは、ガチャンとはげしい音をたててこわれてしまった。
 なまぐさい、べとべとしたさけの中にはいつくばっている自分の、うしろの方で、くまはううううと、うなっている。さいわいに、くまの爪《つめ》にはかからなかったが、たった一つののがれ道であるまど口《ぐち》を、くまのために占領《せんりょう》されてしまったのである。
 列車《れっしゃ》は、くまと自分とを真暗《まっくら》やみの貨車《かしゃ》の中にとじこめたまま、なにも知らずに、どんどんとはしっている。少し速度《そくど》が
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