に傍点]がびっしりと生《は》え茂《しげ》っているばかりで、人間くさいものなんか一つもありはしない。まったく夕方なんぞ、列車《れっしゃ》の車掌室《しゃしょうしつ》から、ひとりぼっちで外をながめていると、泣《な》きたくも泣けないような気もちだった。そういう時には、川のそばへさしかかって、水音をきくだけでもうれしかった。――くまなども、はじめは、汽車《きしゃ》を見るとみょうなけものがやってきたぐらいに思ったらしい。機関車《きかんしゃ》の前へのこのこでてきてにげようともしないので、汽笛《きてき》をピイピイ鳴《な》らしてやっと追《お》いはらったというような話もあった。
 さて、わたしが、くまと、列車《れっしゃ》の中で大格闘《だいかくとう》をしたという話も、まあ、そんな時分《じぶん》のことなのだ。
 秋《あき》のことだった。終点《しゅうてん》の|I駅《あいえき》からでる最終《さいしゅう》列車に後部車掌《こうぶしゃしょう》をつとめることになったわたしは、列車の一ばん後《うしろ》の貨車《かしゃ》についた三|尺《じゃく》ばかりしかない制動室《せいどうしつ》に乗りこんだ。制動室というのはブレーキがあるからそういうので、車掌室のことだ。自分はそこのかたい腰《こし》かけへ腰をおろすと、うす暗《ぐら》いシグナル・ランプをたよりに、かたい鉛筆《えんぴつ》をなめなめ、日記《にっき》をつけた。つぎの停車駅《ていしゃえき》までは、約《やく》一時間もかかる。全線《ぜんせん》で一ばん長い丁場《ちょうば》だった。日記をつけてしまうと、することもなくなったので、まどから暗い外をすかして見た。黒い立木《たちき》が、かすかに夜の空にすけて見えて、時々、機関車《きかんしゃ》のはく火の粉《こ》が、赤い線をえがいて高く低く飛びさる。風のかげんで、機関のザッザッポッポッという音が、遠くなったり近くなったりする。全線中で一ばん危険《きけん》な場所《ばしょ》になっている急勾配《きゅうこうばい》のカーブにさしかかるにはまだだいぶ間《ま》があるので、わたしは安心《あんしん》してまた腰をおろすと、いろいろと内地の家のことなどを思いだして、しみじみとした気持になっていた。
 ――ふと、顔をあげて見ると、貨車《かしゃ》との仕切《しき》りにはまったガラスまどに、人間の顔がぼんやりとうつっている。わたしは、それが、自分の顔だということは知っていながら、なんだか友だちでもできたようなにぎやかな気持になって、しきりに帽子《ぼうし》のひさしを上げたり、さげたり、目をいからしてみたり、口をまげてみたりして、ひとり興《きょう》がっていた。しまいには、シグナル・ランプを顔の前につきだしてみたりした。(その当時は、客車《きゃくしゃ》にさえ、うす暗い魚油灯《ぎょゆとう》をつけたもので、車掌室《しゃしょうしつ》はただ車掌の持《も》つシグナル・ランプで照《て》らされるばかりであった。そのほかに、ろうそくを不時《ふじ》の用意《ようい》として、いつも持ってはいたが。)で、シグナル・ランプを顔のそばへ持ってきて見ると、自分の顔は、暗いガラスの中に、くっきりとうかびだすようにうつって見えた。
 と、自分は、鼻《はな》の頭に、煤煙《ばいえん》であろう、黒いものがべっとりとついているのを見つけて苦笑《くしょう》した。指《ゆび》のさきにつばをつけて、鼻の頭をこすりながら、わたしは、いままで自分の顔にむけていたランプをくるりむこうへまわすと、ガラスにうつっていた自分の影《かげ》は消《き》えて、サーチライトのようないなずま[#「いなずま」に傍点]形《がた》の光が、さっと、ガラスまどを通して、貨車《かしゃ》の内部《ないぶ》へさしこんだ。その貨車にはちょうど、石狩川《いしかりがわ》でとれたさけがつみこんであったので、自分は、キラキラと銀色《ぎんいろ》に光るうろこの山を予想《よそう》したのだったが、ランプの光は、ただ、ぼんやりとやみの中にとけこんでしまって、なんにも見えない。おかしいなと思ったので、自分は、立ち上がってガラスまどに鼻《はな》をつけるようにしてのぞきこむと、おどろいた。さけの山は、乱雑《らんざつ》にとりくずされ、ふみにじりでもしたように、めちゃめちゃになっているのだ。
 さけがぬすまれるということは、その季節《きせつ》にはよくあることなので、自分は、さけどろぼうが貨車《かしゃ》の中まであらしたのかと思うと、思わず、むッとして、手荒《てあら》く仕切《しき》りの車戸《くるまど》をひきあけて、足をふみこんだ。もちろん、まだどろぼうが貨車の中にぐずついていようとは思わなかったけれど、用心《ようじん》のために、そばにあった信号旗《しんごうき》のまいたのを、右手に持ち、左手にランプを高くさし上げて、用心|深《ぶか》く進《すす》んだ。
 車
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