へまで送り出すって、新聞に書いたある。それやのに、この餓鬼が、屁理窟並べやがったさかいに……こら慎作、未練やないぞオ、お父っつぁんが、一人で苦労してばくち[#「ばくち」に傍点]みたいなものに手を出しよったのも、みんな、お前のせいやぞ」
祖父は喋り乍ら、日頃からの不平不満に一時に火が付いた様に熱して行った。裄、丈、の短かい浴衣が、憤怒を嗤うように枯れた全身にまつわりついていた。
「さ、違うなら違うと言うてみい、こら、なんぜ黙ってくさる、返事せんかい、この罰あたりめ、この先、この一家はどうして暮らすのか言え。これでも貴様はまだ、十五円の月給仕事仕腐さる気か※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 改心するなら両手をついてあやまれ。こ、こら、慎作、なんで寝転びやがる! この阿呆、年寄やと思うて馬鹿にする気か、こん畜生※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
堪え兼ねた様に祖父は立上ろうとしたが、利かない体は無闇な威勢を裏切って、つつかれた達磨の様に尻餅をついてしまった。
その夜、父は帰らなかった。
明け方、心配の余り、町の田村[#「田村」に傍点]まで迎いに行こうとした慎作は、裏の田で、軍鶏《しゃも》の様に眼を薄黒く窪ませた父が祈る様に瞼を閉じて、ギイギイ水車を踏んで居るのを見た。
ふいと慎作を見付けた父は、危く足を踏みはずそうとしたが、やっと両肱で体を支え、それでも微笑もうとした。が、笑えなかった。どんな時にでも、看板の様に面から去ったことのない微笑が、今はもう拭きとった様に消え去ったのだ。慎作は、ただ泣き笑うより術はなかった。出来る事なら、愛撫を籠めた手で父の背を叩き、何んでもよい涙の出る様な慰めを何時までも言い続けたかったが!
振りかかってくる火の粉の様な苦痛は、街と野にあふれた悲惨は、すべて皆、反抗の火を※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《た》く燃料たるべきであった。だが、一家の悲惨はあまりに身近過ぎる様だった。それは余りに生々し過ぎる薪であった。理智が悩みを清算する前に感情は迷児の様に泣きわめいた。慎作は、この事実に全く打ひしがれた自己をはっきり知った。そうだ、慎作は、常夜燈の様に消えなかった胸の火を、忽然吹き消されたまま、村を背に、同志を背に、殊に真暗な一家を背にして、何処までも何処までも走って行きたかった。だが、足には思想のおもり[#「おもり」に傍点]が離れず、頭では間断なく理智の鐘が鳴った。何のこれしき、闘争児の総てが舐める苦痛ではないか、高く批判せよ、あらゆる煩悶を情熱の糧にせよ! けれど、この呟やきも野面を渡る一陣の風であった。一戦ぎの後に、古沼の様な憂欝が襲いかかった。これが、毎日の闘争にまで尾を引いた。今まで気にも止めなかった同志の、ふと不用意に洩す利己的な言葉の端が、棘の様に心にささり、ともすれば白眼をむきたがる仲間の百姓に、日頃にない軽蔑を覚えたりした。
慎作は恐れ乍らも想った。もう一つの苦痛が、より大きい試練がほしい、それに依って現在の如何にもならないこの怯懦が、このまま絶望の底へ沈潜してしまうか、或はまた、それを契機として再び暁雲の様に情熱が染め出されるか……いささかこの希求に不安とあるおこがましさを覚えつつも、抱かずにはいられなかった。
白東会を雇って応戦準備を整えた地主達は、戦艦の様に落着き、小作人達の結成を眼下に視下した。「農民組合を脱退して来い。すべての交渉はそれからの事だ」これが動かない最後の返答だった。
示威と結成の固めを兼ねて、大演説会がS寺の電気のない大広間で開催された。説教壇に弁士が立って激烈な言葉を吐いた。百目蝋燭が聴衆のどよめきにゆらぎ[#「ゆらぎ」に傍点]、その都度、触け合った陰影が生物の如く躍った。
藤本が演台に立った。川っ縁や林で鍛えた声が、二十四にしては朗々として太かった。金色の仏具に反映する柔かな光芒、感激に息を呑む聴衆、一堂の場景は何か尊厳な、旧《ふる》びたフィルムの様だった。藤本の論点は白東会に及んだ。
「……諸君、地主は遂に白東会を抱き込んだ。これが彼奴等の常套的な最後の手段なのだ。白東会とは何か……名を正義に藉りたる暴力団に過ぎないではないか! 彼等地主は、今や悪剣をとって立ったのだ。諸君は、桜田門外の雪が血に染められたのは! 井伊の握った暴剣の報いであることを忘れないだろう。我等、正義を主張する、国宝たるべき百姓に、剣を持って臨まんとする彼等……」
この時であった。演壇の直前にすっくと立あがった一人があった。おや、と思う間もなく人蔭は演壇に飛びあがった。
「国賊ッ」叫喚が礫《つぶて》の様に聴衆を打った。
と、白刃がサッと光芒を切って、高く翳された藤本の右腕に、にぶい強靱な音を立てた。慎作は駈け寄った。どっと殺到する群衆の上で、白
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