んけど……」
 慎作への理解を眼色にふくめて、彼の述懐をいたわってくれた父の言葉を、次の間から祖父の疳癪声が更に強く打消した。
「そやそや、慎作なんかに、ちょっとも権利なんかあらへんぞ」
 後に、白けた沈黙が深かった。
 慎作は、坑道を見失った土龍《もぐら》の様な父が、最後に頼ろうとする飼鳥を、理性一点ばりで拒否する自分が非常に冷酷なものに思えてならなかった。赫黒い父の額に、藪蚊が一匹血に膨《ふく》れて止まっていたが、鳥渡、眉をしかめただけで叩こうともしなかった。掌のマメ[#「マメ」に傍点]をぼりぼり掻きつつ、頭の中で難解な謎でも解きほぐそうとするかの様に、永い間、上眼遣いに顔を動かさなかったが、ふと決心した様に父は、慎作を真直に見た。
「お前が、顔出し出来んことやし、そうや、やっぱり十姉妹は止めにしよう」
「ええ、止める?」
「ああ、爺さんは怒るやろが、止めるよ、何とか考えよう」
 父はにじむ様に微笑した。同時に次の間で「何やて、止めるて※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と祖父の叫びがしたかと思うと、ゴソゴソ赤児の様に匍い出して来た……。

 父の飜意に、慎作は自分のために飼鳥を思い止まってくれたのだと言う喜こびだけでは足りない、もっと大きい感激を覚えた。寧ろ自分への愛だ等と推断するのは、父への冒涜だと思った。父に一つの根強い自覚を見た……そう慎作は考えた。

 が、その翌晩、何処へ行ったのか父は十二時過ぎまで帰らなかった。それは今までに無い異例だったので慎作は非常にいぶ[#「いぶ」に傍点]かったが夜更けに帰宅した父の、大きい過ちでも犯したような自卑的な眼差しと物腰しを、狸寝の眇《すが》めに見せつけられて、尚の事、不審を大きくした。不躾な祖父の追窮にも、父は誤魔化す様に笑うのみではっきり言おうとはしなかった。それが隔日か、二日置きに半月程も続いた。
 その間に只一度、珍らしく濁酒《どぶろく》を呑んで酔った時、父は哄笑しながら「まあ、爺さんも、慎作も、心配せんと見てておくれ、今に皆んなをアッと言わせるからな、それまで種明しはおあずけや、あははは、近いうちに、皆んなでエビス顔やぜ」と言った事があったが、その調子が如何にも附元気らしく、あはははと笑っても、その笑顔が今にも惨めな泣顔に変りそうなのを、慎作はいやにはっきり感じた。併し父は、それ以上の詰問には碁盤の様に固ばるのみで答えなかった。
 父の秘密な外出――この間に遊びという感じは毛頭なかった。それだけにまた異様な恐怖を、大袈裟に言わば密封された恐ろしい贈物を前に置く様な恐怖を、抱かずにはいられなかった。
 ある晩、とうとう母は、祖父には内密に自分の想像を、そっと慎作に打明けた。
「ひょっとすると……あの人、田村へ行ってるのかも知れへんぜ」
「田村へ!……まさか……」と打消したものの、慎作は変に吐胸をつかれた。予想外の事ではあったが、言われてみると、この際、案外近々しい想像なのに驚かされた。田村の賭場へ父が……と想っただけで、「勝負!」と骰子壷の伏せられた瞬間、試みにピアノの鍵盤を叩いてみたら、その音波が散り拡がろうとはせずに何時までも響いていそうな、極度にはり切った空気、押し潰した囁やきと、袖口と胸元から隠見する入墨、その片隅で、例のお人好らしいにじみ笑を浮かべて、しかし両手は中風の様に震わせているであろう土に汚れた父……が見える様だった。ふと画がき出した幻影の様なこの想像に、見る間に、額にはまった絵の様な確実味が帯びた。だが慎作は何気なく言った。
「母さんに、思い当たる節でもあるの」
「そやかて……こないに毎晩、何処へ行くとも言わんと出て行くのが、第一変やないか、それにあの人の、近頃、落着きのないこと、そら可笑しい位やぜ、引出しの鍵はあの人が持ってるよってに、蚕の金はどうなったか知らんけど、な、慎作、きっとそうやで」
 ひそめるだけ声をひそめた母は、若し慎作が、「そうだ、それに定まった」とでも言おうものなら、わッと飛び立ち兼ねない様子を示していた。十姉妹を一つの自覚から思い止まってくれたのだとすると、その父がこっそり賭場通いする等とは、どうしても算出されない筈の答案ではあったが、また一方、たとえ飼鳥は思い切っても他に何とか格恰をつけねばならない責任のある父にしては、あの晩、既に「賭場」が思い当っていたのかも知れないとも考えられた。自覚からじゃなかった、少くともそれは第一義じゃなかった。子煩悩から支持する愛児の面目を、理由は第二として盲愛から立てずにはいられなかったのだ。そうは思っても、慎作は父に対して決して幻滅を覚えたりはしなかった。総てを胸のうちにおさめて臆病な父が、賭場通い等と言う様な冒険を決意した……その間の苦渋が胸の痛むほどに察しられた。
 田村の賭場は、巧妙な客
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