てみてもええ考えやが、十姉妹ででも儲かったら、少しは助かるのやけども……」余程、心動いたらしい母が横から口を出すと、父は何時になく顔を赤くしてたしなめた。
「糸! お前は黙っとれ!」
併し父は、直ちに祖父の逆襲を受けねばならなかった。
「何やて直造! 糸になんの怒るとこあるのや、そやったら何やな、お前にはこの苦しい家を明るみに出す好い考えがあるのやな、さあ、それを聞かして貰おうかい、この際、鳥より上手な金儲を知ってたら、教えてほしいもんや!」
父は瞬間、顔を逆撫ぜにされた様な表情をみせたが、すぐと持前の、如何にもお人好らしい微笑をたたえて「これゃ敵《か》なわん」という様な眼色で慎作を見た。
祖父の罵りと迫る貧困と、さし招ねく誘惑の中で、どう梶をきめて好いか迷い乍ら、辛ろうじて自分を尊重してくれる父に、慎作は心から感謝した。
けれど、それから一週間ほど経って、委員会が永引いたため夜十時頃帰宅した慎作は、敷居を跨たぐと同時にはッとして棒立になった。蚊遣りの煙りが薄い幕の様に立ちこめたほの暗い土間で、白襦袢一枚の父と祖父とが並んで坐り、父は板をカンナ[#「カンナ」に傍点]で削っていた。坐禅めいたあぐら[#「あぐら」に傍点]姿の祖父が、両手を膝に端然とつき、亀の様に首を延ばして父の手付を頼もし気に覗き込んでいた。薄い燭光と蚊遣りの煙りに包まれた二人の周囲に、心なしか、何か秘密の作業場と云った雰囲気が感ぜられた。門口に突立った慎作をみて、台所で縫物をしていた母も、土間の二人も、一瞬、息を呑んで体を固ばらせた。と、父は慌てて側に置いた鳥籠を糠桶の蔭へ押しやった。そして、不自然なほどかがみ込んでカンナ[#「カンナ」に傍点]に力を入れた。「シュッ、シュッ」と、カンナ[#「カンナ」に傍点]の音が何かの悪い前兆の様に四辺に際立って、むくれあがる白いカンナ[#「カンナ」に傍点]屑が傷ついた者の様に転がった。白い眉をあげて祖父は屹《きっ》と慎作を見たが、思い返したように舌打して向き直り、故意《わざ》と慎作を無視する様な高い皺枯れ声を出した。
「これで八つ位は、大丈夫出来るやろな?」
「……う……」父は曖昧に首肯いていよいよかがみ込んだ。胸一杯にふくれあがってくる強い感激めいたものを拒むように、慎作は晴れがましく「只今!」と言って上がった。母は、慎作の飜った態度にほっとして、すがりつく様に言った。
「慎作、粥《かゆ》、温めるかい」
慎作は首を振って、冷めたい芋粥を水の様に流し込んだ。たかが些細な十姉妹の問題だ、自己の主義主張と家人の行動とは、必ずしも併立するものじゃない、清濁あわせ呑む度量と、矛盾の中での一つの……けれど鼻が痛く眼頭が熱く見まいとしていて視線を土間に引寄せられた。無論、父は祖父の強制に、詮方なく露の様に向う側へ転んで行ったに違いなかった。責めたてられる奴隷の様に手を休めなかった。祖父は愈々肩を張り、ゴムの様に唇をもぐつかせていた。慎作が食事を終っても二人は土間を離れなかった。
「もう、好加減にして寝なはれ、明日また、水換えで急がしいさかい!」と、母が白けた空気をとりなす様に言ったのをきっかけに、二人は道具をかたづけたが、寝ようとはせずに慎作の居る火鉢の前に坐って無闇と煙草を吹かした。父は、すまなさそうに慎作の眼を逃げては故意とらしい咳払いに何度も拘泥し、祖父は喧嘩前の腕白みたいに唇を尖がらし、バタバタと団扇を煽った。慎作は、この場合何とか言わねばと思っていて、思考がとりとめないままに深く沈んで言葉が無かった。
「慎作、やっぱり十姉妹飼う事に定めたぜ」
祖父は止《とど》めの様に言い切って心持身構えたが、何時までも慎作が黙っているので気抜けした様に声を落し「なんぼお前が嫌いかてこうなったら、藁にでも掴まるより仕様あらへん、さあ、直造、寝よ、寝よ……」と、危っかしいすり足で次の間に入った。
思い切って慎作は、併し哀願的に言わずにはいられなかった。
「お父っつぁん、どうしても十姉妹飼うのかい」
「…………………………」
「鳥渡、考えただけでは別に悪い事とは思えんけれど、この間から何度も言う様に、俺の立場から言うと……」慎作が父の顔を見ない様にして言い続けようとすると、父は狼狽《あわ》てて「いや、その事やったら、よう分かってるのやが」とせき込んで遮切《さえぎ》ったが、何かの固まりの様に唾を呑むと弱々しく呟やいた。
「何せ。爺さんはガミガミ言うし、蚕があんな様やった上に、この旱りやろ……おまけに、この秋に返えさんならん借金の当は皆目つかんしなあ、わしかて、お前の理窟は成程と思うてんのやが……」
「俺も、お父っつぁんの心配は分り過ぎる位分かってるよ、充分家の手伝出来ん俺がかれこれ言う権利はないか知らんが……」
「いいや、そんな事あらへ
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