随うてまた国民と為《な》すなきの文学なりと(『太陽』第七号「文芸界」「小説革新の時機」参照)。此《これ》に問ふべきは、何が故《ゆゑ》に小説は国民の美質をのみ描かざるべからざるかといふ事なり。国民の短処、醜処は(吾人はこれなしと断ずるの理由を認むる能《あた》はず)何故に以て詩材と為すべからざるか。苟《いやしく》も美の約束に乖《そむ》かざる限りは美醜長短皆以て詩中の内容となすを得べきにあらざるか。弁ずるものは曰《い》はく、詩材は必しも国民の美質に限れりとは言はず、唯々[#「々」は、踊り字の「二の字点」]しかするにあらざれば以て国民的性情を満足せしむる、能はざるが故のみと、されど吾人は尚《なほ》問ふことを得べし、論者は如何なる見地より、国民の美質をのみ描きたる作にあらざれば以て国民の性情を満足せしむる能はずと断じ得るぞと。国民の醜処短処を描きたる作は何故に国民的性情を満足せしむる能はざるか。国民の醜処短処また是れ国民性の一部にはあらざるか。同じく国民性を描きながら、一は其の美所なるが故に国民的性情に満足を与へ、一は其の醜所なるが故に之れに満足を与へずといふの理由は如何に之れを解すべき。国民自
前へ
次へ
全18ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
綱島 梁川 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング