描くべきものにあらずや。如何ばかり主観的なる作家といふとも、作家自身にして籍を一国に有する限りは其詩材もしくは主題の何たるに拘《かゝは》らず、其の作の気脉《きみやく》は多少国民性に触れざらんと欲するも得《う》べからざるにはあらざるか。作家にして日本国民たる限りは一種のコスモポリタンを取り、又は一外人を択《えら》びて其の詩材となすとも、全く国民性の形跡を脱却し得ざるは之れをゲーテが『イフイゲニア』の例に徴するも明かなるにあらずや。否シエークスピアの客観的なるだに[#「客観的なるだに」に傍点]尚且つ全く当代の英国民性を脱却し得ざりしにあらずや。されば此の意味にては、柳浪も、鏡花も、天外も、多少厚薄の度こそ異なれ、皆国民性を描きつゝありといふを事実とすべきにあらずや。吾人は国民性の一膜を被らざるの作家、随《したが》うて又さる意味の文学あることを信ずる能《あた》はず。要するに此の意味にての国民性を言ふは殆《ほとん》ど無意義なり、重語なり。吾人は寧《むし》ろ円満なる客観詩を得んと欲するの余りに、一時一処の国民性を擺脱《はいだつ》せよと要求するの(其の要求の当否は別論として)之れを描けと要求するの
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