微視觀により明にせられたのであるが、中間事實の變化することは、巨視觀により常識を以て承認することが容易である。若し其所に偶※[#二の字点、1−2−22]不動不變と取られる事實あらば、これは原子の如く所謂安定状態に在るもので、成立に關する事情の掣肘を受け、餘儀なく靜止の状態を維持するまでのことで、何時崩壞するか保證し難いものである。即ち靜止は變化の一過程に過ぎないのである。茲に於て何が故に變化するかの問題は別として、事實網全體を事實として變化することが明にされた。思へば昔科學精神の幼稚な時代に諸行無常を説いた釋迦や萬物流轉と斷じたヘラクレイトスは驚くべき洞察を爲したものである。
事實の存在するも變化するも、其儘事實であるから、それで差支ないと取る見方は、唯物論的、機械觀的或は決定論的傾向を生じ、何物か之を然らしめるのであると取る見方は、唯心論的、目的論的或は價値觀的傾向を生ずる。孰れの見方を執るも變化の事實を如何ともすることが出來ないのは明である。そこで古今の哲人が巨視的にも微視的にも考察を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]し、到達し得た一致の結論を要約すると、宇宙の隅から隅ま
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