はない。何より茲に力説せざるを得ざるは、假令渺たる一現象に過ぎないものであつても、假令醜惡耳目を向くるを欲せざるものがあつても、それが即ち我々同類の事であると知れたら捨置くことは出來ない、須く高慢、陶醉の氣分を去り、眞摯敬虔の態度を以て、其眞相を把握するに努むべきである。歴史は正に此考察より發生し、徹頭徹尾眞を得るを以て第一義となすものである。かゝる歴史は則ち特に、吾人の追慕すべき祖先の消息を傳へる意味に於て、又一般に既往の囘顧を正確ならしめ、現在の行動を警醒し、將來の進路を洞察せしめる意味に於て、只に興味を唆るのみならず、實に缺くべからざる光明である。
 知識としての歴史が成立するところで、之を確保する手段として、最初に勒記、次に文書、記録、又次に歴史と稱する書物が出來た。此系統のもの殊に文書以下を歴史と總稱することは俗間及學界の通念となつてゐる。即ち知識としての歴史の記録を歴史と稱するは歴史の最も具體的、通俗的の意味である。翻つて當初歴史の概念を求めた時を考へると、例證を僅に日本と支那との一二の書物に取つたのみであるが、勿論西洋、亞米利加乃至世界全體に就いて云々するを得たのである。
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