ッテも欲しいと兼ね兼ね思っているが、それは冬のときや春のときのことだ。夏にはこんないい自然のヒュッテがどこにでもあるなら、まあ夏だけのものならばそんなに欲しいとは思わない。ここは夏でもすこし早く来るとまだ岩穴が雪に埋っていることもある。
 とにかく自分たちの仲間ではここへ来ていろいろと話したり、登ったりして好き勝手に日をすごしてくることが、夏の上高地へ来てのひとつのたのしみなのだ。ところで、ここにはそのひとつとして、その岩小屋のある年の夏のある夜のある仲間のことを書いてみる。これが自分たちの仲間のある時期のひとつの思い出にでもなればいいと思って。

 そのとき自分たちは四人だった。自分たちは丁度北穂高の頂《いただき》から涸沢のカールの方へ下りてきたのだった。……そしてそれは夕暮だった。歩きにくいカールの底の岩のテブリイのうえを自分たちの歩みは無意識にすすんで行った。
 それは実によく晴れわたった、穏《おだやか》な夏の夕だった。眼のまえの屏風岩のギザギザした鋸歯《きょし》のようなグラートのうえにはまだ、夕雲はかがやかに彩《いろど》られていた。そしてひと音きかぬ静けさが、その下に落ちていた
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