年十八、叔父頼杏坪に従つて東遊し昌平黌《しやうへいくわう》に学び尾藤二洲の塾に在り。此行一の谷を過ぎて平氏を吊《とむら》ひ、湊川《みなとがは》に至りて楠氏の墳に謁し、京都を過ぎて帝京を見、東海道を経て江戸に入る。到る処俯仰感慨、地理に因りて歴史を思ひ、歴史に因りて地理を按じ、而して其の吐て詩藻となるもの乃ち宛然たる大家の作也。孤鴻既に※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]群に投ず、彼の才の雄なる同学の諸友をして走り且|僵《たふ》れしめたるや想見するに堪《た》へたり。彼が線香一※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1−87−40]の間を課して四言三十首を作り以て其才を試みしは実に当時に在りとす。
読者若し渠《かれ》が楠河州を詠じたるの詩を読まば如何に勤王の精神が渠の青年なる脳中に沸々《ふつ/\》たるかを見ん。渠をして此処《こゝ》に至らしめたるものは何ぞや。嗚呼是れ時勢なるのみ。夫の勤王に狂せる上野の処士高山彦九郎は昔し嘗《かつ》て春水と相|識《し》るものなりき。而して彼が寄[#二]語海内[#(ノ)]豪傑[#(ニ)][#一]好在而已と遺言して筑後に自殺したるは実に寛政五年にして襄が年十四
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