後年史学を以て自ら任ずる者|蓋《けだ》し端を此に発す。
 史学なる哉《かな》、史学なるかな、史学は実に当時に於ける思想世界の薬石なり。禅学廃して宋学起り宋学盛んにして陽明学興る。一起一倒要するに性理学の範囲を出でず、抽象し又抽象し推拓し又推拓す、到底一圏を循環するに過ぎず、議論|愈《いよ/\》高くして愈人生に遠かる。斯の如きは当時の儒者が通じて有する所の弊害なり。史学に非んば何ぞ之を済《すく》ふに足らん。曰く唐、曰く宋、或は重厚典雅を崇び、或は清新流麗を崇ぶ、時世の推移と共に変遷ありと雖《いへども》、究竟清風明月を歌ひ神仙隠逸を詠じ放浪自恣なるに過ぎず、絶へて時代の感情を代表し、世道人心の為めに歌ふものあるなし。斯の如きは当時の詩人が通じて有する所の弊害なり、史学に非んば何ぞ之を済ふに足らん。今や二個の岐路は襄の前に横はれり、一は小学近思録の余り多く乾燥せる道なり、一は空詩虚文の余り多く湿潤せる道なり。憐れなる少年よ、爾《なんぢ》若し右に行かば爾の智慧は化石せん。爾若し左に行かば爾の智慧は流れ去らん。只一道の光輝あり、爾をして完全なる線上を歩ましむるに足らん、即ち史学也。
 寛政八年襄
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