可[#レ]不[#下]奮発立[#レ]志以答[#二]国恩[#一]、以顕[#中]父母[#上]哉。翌年春水の祗役《しえき》して江戸に在るや、襄屡※[#二の字点、1−2−22]書を広島より寄せて父の消息を問ふ、書中往々其詩を載す。春水が交遊する所の諸儒皆舌を巻きて其|夙才《しゆくさい》を歎ぜり。薩州の儒者赤崎元礼、襄の詩を柴野栗山に示す。栗山は儒服せる豪傑なり、事業を以て自ら任ずる者也。襄後年之を評して曰く奇にして俊と。彼は固より英才を詩文の中に耗《へ》らすことを屑《いさぎよ》しとせざりき。今や友人春水の子俊秀|斯《かく》の如きを見て、彼は曰へり、千秋子あり之を教へて実才を為さしめず乃《すなは》ち詞人たらしめんと欲する乎《か》、宜しく先づ史を読んで古今の事を知らしむべし、而して史は綱目より始むべしと。元礼薩に還るとき広島を過ぎ襄に語るに此事を以てす。嗚呼是れ天外より落ち来れる「インスピレーション」たりし也。当時栗山の名が如何計《いかばか》り文学社会に重かりしかを思へば彼の一言が電気の如く少年頼襄をして鼓舞自ら禁ずる能はざらしめたるや知るべきのみ。大なる動機は与へられたり、大なる憤発は生ぜり、彼が
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