より其最も善きものを択んで之に従はざるべからずとは志ある者の夙《つと》に唱導する所なりき。渠は斯る空気の中に※[#「てへん+妻」、277−下−3]息し、柴野栗山、尾藤二洲、古賀精里等と共に宋儒を尊信して学統を一にせんとするの党派を形造りたりき。幕閣が異学の禁を布《し》きたるは寛政元年にして蓋し此党派の輿論を採用せしに過ぎざる也。
 春水の名は其二弟春風杏坪と共に此時既に学者間に聞へたりき。彼は朱子派の儒者として端亮方正《たんりやうはうせい》の君子として、殊に善書の人として、其交遊の中に敬せられたりき。彼の未だ出でゝ仕へざるや其朋友等相共に広言して曰く百万石の聘に非《あらず》んば応ぜざるべしと。襄が春水より継承せし血液は此の如く活溌なるものにてありたりき。而して春水の室、即ち襄の母も亦尋常の婦人に非らず、襄が幼時の教育は実に彼女の自ら担当する処なりき。思ふに頼氏二世共に婚姻の幸福を有せり、春水は学識ある妻を有し、襄は貞節なる妻を有す、頼氏何ぞ艶福に富めるや。
 烏兎※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々呱々の声は※[#「口+伊」、第4水準2−3−85]唔《いご》の声に化せり、襁褓中
前へ 次へ
全33ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング