二]岸頭[#一]、清※[#「酉+票」、281−下−25]尤推鶴字号、駕[#二]人酔夢[#一]上[#二]楊州[#一]の詩あり。蓋し彼が酒を嗜《た》しむに至りしは此時に始まれる也。後来|梁川星巌《やながはせいがん》をして其死を聞きて人伝麹蘖遂為[#レ]災と歌はしめたる程の大酒家も三十九齢の当時までは酒量極めて浅かりし也。嗚呼彼は遂に酒の擒《とりこ》となれり。吾人は問[#レ]吾底事恋[#二]此間[#一]、豊筑無[#三]酒似[#二]赤間[#一]の詩を読む毎に未だ嘗て彼の為めに歎ぜずんばあらず。夫れ春水杏坪共に齢《よはひ》古稀《こき》を超へたり、頼氏固より長寿也、襄にして自愛せば其五十三齢に猶十年若くは二十年を加へ得べかりし也。思ふて此に至る吾人は星巌が飲を嗜まずして七十に達したるを彼の為に祝せざるを得ず。世に為す所あらんとするの士鑑みざるべからず。然りと雖も彼が酒を嗜む太甚《はなはだ》しきに至りし所以のもの実に其父を喪ひたる無限の憂愁を散ぜんとするに由る。果して然らば彼の志亦|憫《あはれ》むべき也。
彼は赤間関を発して始めて九州の地を踏めり。今詩集に因りて其の行程を案ずるに先づ豊前に入り、筑
前へ
次へ
全33ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山路 愛山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング