忽《たちま》ち飛報あり電の如く彼の心を撃てり、曰く春水の病急なりと。彼は巻を投じて起てり、百里を五昼夜にして行けり。至れば即ち父の霊は既に其肉を離れてありし。孝子の恨何ぞ極まらん。彼は再び弟子の為めに荘子を講ずることをせざりき。彼の喪中に在るや嘗て其友篠崎承弼に語りて曰く、詩文為[#レ]生、不[#レ]得[#レ]不[#レ]作、聊断[#二]酒肉与[#一レ]内、欲[#レ]報[#二]罔極之万一[#一]耳と。彼は父の為に三年の喪を服せんと欲せり。いたく自ら節抑して以て其無限の悲哀を顕はせり。彼は自ら父の志に背くこと多きを知れり、是を以て父の死を悲しむや極めて切なりき。
文政元年彼は三年の喪を終りて終に鎮西《ちんぜい》の遊を試みたり。是より先き彼は屡々五畿及び江濃尾勢の諸国に漫遊せしかども未だ嘗て千里の壮遊を試みざりし也。此に於てか門人後藤世張を随へ手抄杜韓蘇古詩三巻、詩韻含英一部と外史の草稿とを携へて京を発し淀川を下り、大阪より篠崎承弼に送られて尼崎に至り、雨には即ち淹留《えんりう》し晴には即ち行き広島に至りて父の墓に謁し赤間関に淹留すること半月、年々摂酒附[#二]商舟[#一]、磊落万罌堆[#
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